2020年2月23日(日) 1029回目
<因果はめぐる>
子育てのこころ(禅文化研究所)
盛永 宋興氏著(元花園大学学長、大珠院先住職)より抜粋 その1
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縫いものをする針を、お豆腐とかコンニャクとかいう柔らかいものに刺して、「一年中堅い着物を縫っていただいてご苦労様。今日はひとつ柔らかいところで休んでください」と供養をして、「あなた達のおかげで、私たちは着物を縫ってこられました。そこで生活することができました」といって感謝する。
「あなたらのために、私はこうしてこき使われた。縫いものばかりしなくてはならなかった」という考え方と、「あなたがたのおかげで、私は生活することができました。ありがとう」と感謝すること、どちらが完璧にフラストレーションを解消することになるでしょうか。
胸の中がムカムカするというのは、恨みつらみでムカムカするのです。感謝というなかには、いっさい心のなかにたまってくるフラストレーションはありません。欲求不満はありません。
「おかげさまで、ありがたかった。だから供養をいたしましょう」
こういう心の持ちかたで生活している親に、恩を知らない、感謝を知らない子供ができるはずがないのです。
もしアメリカのタイピストがやっているような、一年に一度、ハンマーで自分が使ってきたタイプライターを叩き壊すということが当たり前のことになったら、うっかり子供を育てられません。「あんちくしょうのために、あれやったらいけない、これやったらいけないで、さっぱりおもしろくなかった。ああしなさい、こうしなさいと、うるさくてかなわなかった」と言って、今日まで育てられた父や母を、ぶっ叩いてやらないことには気がすまない子供が、親に向かってこないともかぎらないのです。
また卒業の時に、「今日までひどい目に合わされた先生をぶん殴るんだ」、あるいは「しゃくにさわったから学校の窓ガラスを叩き割るんだ」という行動に出る。このようなことはみんな、タイピストがタイプライターを叩き壊すのと一緒の発想ではないか。校内暴力が起こってくること、中学生のような低学年で、親に対する家庭内暴力が起こってくること、すべてこのタイプライターを叩き壊すという発想から出ていると思われませんか。このようなことはみんな、小さい時にできているんです。少なくとも子供の前で、その親が、自分の親を大切にしなかったり、おじいさんやおばあさん、舅(しゅうと)や姑(しゅううとめ)というのは、うるさい存在だから、いないほうがいいと思いながら子供を育ててきた親の子が、どうして自分の親に感謝するでしょうか。
「因果はめぐる」という言葉があります。こういう因果関係をちゃんと頭の中に入れて子供を育てないと、たいへんなことになるのです。
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親というものは、子供を立派な大人に育てていく重要な役割があります。でもその親が、子育てができる人間性をもっているかが重要となってきます。なぜなら、子供は親から学んでいくからです。
誰しも自分はちゃんとした大人になっている、ちゃんとした考え方をもっていると思っているんです。これが大きな落とし穴があります。大人になったら仕事を通じて多くを学んでいきますが、大人になっても人間性を高めていくために更に自分を磨いていかなければならないと思うのです。
子供の成長を願わない親はいません。子供の成長には親の成長が欠かせませんから、親も学んでいかなければならないのです。
“人生は投じたものしか帰ってこない”という言葉を学びました。自分の言った言葉、自分の行動は、全て自分に帰ってくるという教えです。だから、正しい考えを学び、正しい行動をする自分にしていくことが、親である大人の責任であると考えます。