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募金活動に立ち上がった生徒

2023年01月07日

2023年1月7日(土) 1064回

 <募金活動に立ち上がった生徒>

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 あの東日本大震災が起きた時、私はある全日制の普通高校で教えていた。家庭的にも恵まれた学力の優秀な生徒たちが学んでいる高校だった。
 東日本大震災が起きて、地震と津波と福島原発事故による被害の大きさがだんだん明らかになって行った。報道される被害の甚大さと深刻さをテレビでも放送し始めた。全国の人々、全世界の人々が胸を痛め、犠牲になった人たちの冥福を祈り、被災者たちの無事を願った。そして、被災者の悲惨な状況を画面で見るだけでも何もできない自分の無力さを感じていた。そして、震災から一週間ほどが経った時、三年生の有志たちが、募金活動をやりたいと言い始め、長期的な壮大な計画を教師側に持ち込んで来た。まだ、震災の全貌も掴めず、自分たちの住む地域にも震災のよる被害があり電気が復旧していないところもあった。計画停電が始まり、まだ、学校も正常化していなかった。

 学校は生徒たちの安全を考えて、場所と日数と時間を制限し、確か、午前の9時から夕方の6時頃まで、二週間に限って、毎日、15名ほどの生徒たちが数時間交代の輪番制で街頭に立つことに決まった。生徒たちは、義捐金を求める看板をつくり、募金箱をいくつも用意して、大きな声で通り行く人たちに募金を呼びかけた。そして、この募金活動を言い出した女子生徒一人だけは、初日の朝から最終日の夕方まで、その全日程を一日も休まず立ち続けた。 

 駅を通る人々は、高校生の呼びかけに応じて、次々に募金に協力してくれた。中には一日に何度も通る度に、お金を入れてくれる人もいた。一万円札を入れてくれる人もいた。高校生たちに声を掛け、励ましてくれる人たちがたくさんいた。『自分たちが出来ないことを代わりにやってくれてありがとう』というサラリーマンや高校のOBもいた。ある御高齢の女性は『私の孫が津波で流されて行方がわかりません。孫のためにやってくれて、本当にありがとうございます』と、涙を流しながら何度も頭を下げてくれた。

 この高校生たちは、思っているだけでなく、考えたことを即行動に移す力があった。日本中の人々が何かをしなければと思い、しかし、何もできずにいた。そんな時だったので、道行く人が次々に協力してくれて、募金箱はそのお金ですぐに重たくなった。当初、百万円を目標にしていたのが、十日目で、何と一千万円を遥かに超えていた。私も、何度か一緒に立って声を出して呼びかけたが、三時間くらいで相当疲れてしまう。立ち尽くし、風雨に曝されて、呼びかけ続けるので、相当消耗するのだ。

 しかし、言い出したその女子生徒は、平気な顔をして、寒い日も風の日も、雨の日も傘を差さず、募金箱を持って立ち続け、声を出し続けた。募金を始めて三日目が終わった。そして、その後で、みんなが気づいた。その女子生徒の家は駅の近くにあり、お金で一杯になった募金箱は、次々にその生徒の家に持ち込まれていた。募金をすることで精いっぱいだった他の生徒たちは、自分の輪番が終わると、ほっとして、ある充実感をもって帰宅していた。

 しかし、その女子生徒は、募金活動が終わった後、たった一人で、その一日分の募金の金額をすべて自宅で数え上げていた。そして、その日に集まった金額をパソコンの掲示板に打ち込んで報告し、協力してくれた方々への感謝の気持ちを書き込んでいたのだ。彼女は、私に『募金をやる以上は、協力してくれた皆さんの気持ちに応えて報告しなければならない。それはやらなければならない義務と責任だと思います』と、平然と言った。

 しかし、その金額は膨大で、真夜中を過ぎてもお金を数える作業は終わらなかった。だから、その生徒は、募金が始まってからの三日間、あまり寝ていなかったのだ。そのことに、誰かが気づいて、四日目からは数人が残り、みんなで協力してお金を数え、掲示板に報告するようになった。

 そして、最終日を迎えた。募金活動を言い始めたその女子生徒は、ついに、初日の朝から最終日の夕方まで、一日も休まず前時間立ち続けたのである。『人のため』に生きようとする使命感が、彼女の肉体的な限界を超えさせたのだと思う。その女子生徒の募金を呼びかける声は、誰よりも明るく、大きな声で、彼女は少しも疲れた様子を見せず、最後まで凛然と活動し続けた。その姿には後光がさしていた。

 私は生徒から『人のため』に生きるということを教えられ、教師である私たちも何かせねばならないと思った。

「天皇の祈りと道」 中村正和著(展転社発行)より引用

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 これを読んで涙が止まりませんでした。私はあの大震災で何もできなかった。否、何もしなかったと言ってもいい、今思うと恥ずかしい限りです。仕事がある幸せ、家族がいる幸せ、毎日生活できる幸せ、生きている幸せ。当たり前のことなんですが、この当たり前の幸せなことに気づく時、恩返しせずにはいられない、という気持ちがでてくるのではないだろうか。『人のため』に生きる。今一度、私たちに何ができるのか考えたいものです。

 

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