2017年5月23日(火) 979/1000
<手を合わせること>
皆さん、おはようございます。
「毎朝一話 出勤前に読む本」 三笠書房 より引用
著者:太田典生氏
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仏教思想家のひろさちやさんは、「極楽世界はあるか否か」という質問をよく受ける。そのとき「あるか、ないか」を説いても、誰も行ったことも見たこともないのだから、いくら説得させようとしても無駄である。
そうではなくて、「あるべきか、ないほうがよいか、を説けばよいと悟った」と語る。
たとえば、医者が患者を手術するとき、患者は助かるだろうか、死ぬだろうかといったふうには考えない。患者を助けなくてはと考えて、一生懸命に努力するはずである。それと同じで、浄土があるかないかではなく、浄土はあるべきだと考えて信じれば、生き方が違ってくるはずだと語る。
フランスの数学者で哲学者でもあったパスカルも、「神があるかないかはわからない。しかし神があるほうに賭けたら人生は喜びに満ち、ないほうに賭けたら悲惨の極みだ。だからあるほうに賭けたほうが得だ」と言った。
信長が好んだ謡曲『敦盛』では、「人間五十年…夢まぼろしのごとくなり」と謡うが、
浄土や神はあると思って前向きに生きたいものです。
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僕も死んであっちの世界にいったこともないし、神様や仏様を見たこともありません。それでも神社やお寺に行けば手を合わせます。お願い事をするときなんかは、めちゃ、力が入ったりするんです。多くの人は、そうじゃないかな。だとすれば、なんとなく、神様や仏様がいるんじゃないだろうか、と子どものころから思っているんだと思うんです。
人間は、この世という三次元の世界で生きているから、目に見えないことの話をするのは、あまり好まれません。だって、危ないヤツだって思うしね。でも手を合わせている現実があるんですよね。
太田さんが言うとおり、神仏がいるとか、いないとか。あっちの世界があるとか、ないとか。ということを考えるより、信じた方が生き方が違ってくると思うんです。他人に押し付けることでもありませんしね。
手を合わせるということは、あちらの世界に向かって手を合わせるわけですが、結局は、自分の心に手を合わせているんだと思えたりするんです。毎日が有り難いことであると感謝の気持ちを持ち続けるように手を合わせる。そのことで自分の生き方がよい方向に変わっていけば、それはよいことであると思えるんです。