2016年4月15日(金) 576/1000
<努力>
皆さんおはようございます。
致知2003年10月号より
特集「人生を支えた言葉より」
「努力の上に辛抱という棒と立てろ」私の人生を支えてくれた父親の言葉
桂 小金治氏(タレント)
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この頃(10歳頃)、
僕にとって忘れられない出来事があります。
ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、吹いてみたら凄く上手に演奏できたんです。無理だと知りつつも、家に帰ってハーモニカを買ってくれと父親にせがんでみた。
すると父親は、「いい音ならこれで出せ」と神棚の榊(さかき)の葉を一枚取って、それで「ふるさと」を吹いたんです。
あまりの音色のよさに僕は思わず聞き惚れてしまった。もちろん親父は吹き方など教えてくれません。
「俺にできてもおまえにできないわけがない」
そう言われて学校の行き返り、葉っぱをむしっては一人で草笛を練習しました。
だけど、どんなに頑張ってみても一向に音はでない。諦めて数日でやめてしまいました。
これを知った親父がある日、
「お前は悔しくないのか。俺は吹けるがお前は吹けない。おまえは俺に負けたんだぞ」と、僕を一喝しました。続けて、
「一念発起は誰でもする。実行、努力までならみんなする。そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。一歩抜きんでるには、努力の上に辛抱という棒を立てるんだよ。この努力の棒に花が咲くんだ」と。
その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も練習を続けました。そうやって何とかメロディーが奏でられるようになったんです。
草笛が吹けるようになった日、さっそく親父の前で披露しました。得意満面の僕を見て親父は言いました。
「偉そうな顔をするなよ。何か一つのことができるようになった時、自分の手柄と思うな。世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。錐だってそうじゃないか。片手で錐は揉めぬ」
努力することに加えて、人様への感謝の気持ちが生きていく上でどれだけ大切かということを、この時、親父に気づかせてもらったんです。
翌朝、目を覚ましたら枕元に新聞紙に包んだ細長いものがある。開けてみたらハーモニカでした。喜び勇んで親父のところに駆けつけると、
「努力の上に辛抱を立てたんだろう。花が咲くのは当たりめえだよ」
子ども心にこんな嬉しい言葉はありません。あまりに嬉しいものだから、お袋にも話したんです。するとお袋は、
「ハーモニカは三日も前に買ってあったんだよ。お父ちゃんが言っていた。あの子はきっと草笛が吹けるようになるからってね」
僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。
いまでもこの時の心の震えるような感動は、色あせることもなく心に鮮明に焼きついています。かつての日本にはこのような親子の心の触れ合いが息づいていたんです。
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この感動のエッセイにコメントはできそうにありません。なんとなく親父に怒られているような気もします。「努力の上に辛抱という棒を立てろ!」、私の課題です。