2016年1月6日(水) 476/1000
<心を落ち着かせること>
皆さんおはようございます。
致知2016年1月号より
人生を照らす言葉より 抜粋 その1
国際コミュニオン学会
名誉会長 鈴木秀子氏
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人間の欲望や見栄というものが、放っておいたら際限なく膨らんでしまいかねないことを、私たちは教えられます。
人間の心の内には欲望や見栄を求める心と、それに打ち克とうとする心が共存しています。私たちは、仮に自分の欲望をすべて満たしてみたところで、決して幸せになれないどころか、破壊に向かっていくことを本能的に知っています。大切なのは、自分が欲に振り回される傾向があることをしっかりと自覚した上で、欲を自身でコントロールしていく、バランスのとれた生き方です。
魂の声を聞くための第一歩。それは自分の心を静かに観察することです。自分を一番よく観察するのは、内面がざわついている時です。怒りの心が湧き上がる時、悲嘆に暮れる時、様々な欲が頭をもたげる時、人は「こんなことではいけない」と感情を押さえこんだり、自分を責めたりしてしまいがちですが、見方を変えればそういう時こそ自分を大きく成長させるチャンスでもあります。
「ああ、いま自分は怒っているな」、「落ち込んでいるな」、「欲に振り回されているな」と冷静に自己を観察し「いま自分の中で何が起きているのだろうか。この感情にはどういう意味があって、自分はどういうメッセージを受け止めていったらいいのだろうか」、そのことを感じとっていくことです。
その訓練を続けていけば、いつのまにかに感情や欲に振り回されない、バランスの取れた生き方ができるようになるのではないでしょうか。
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人間の欲望は尽きない。もっと欲しい、もっと欲しいと心の奥底では思っていたりする。そうではなく、有難い、有難いと思っている自分もいる。それはもしかすると、「欲しがるばかりでは醜い、そんな自分ではいけない!」と、それを打ち消そうとする自分もいたりする。どっちが本当の自分といえば、双方とも自分であるのでしょう。
「美しい自分と醜い自分」、「表面に見える自分と、隠れている自分」は表裏一体に現存している。だからこそ、醜い自分も自分であると認め、今、自分がどんな心の状態であるかを客観的に観ることが必要であると思う。それは醜い自分を認めるという勇気がいる。
今、自分は怒っているのか、何に怒っているのか、それは自分勝手ではないのか、単なる自己防衛ではないのか、我がままではないのか。という具合である。
我々の心は常に揺れ、ざわつき、直ぐに欲望や誘惑に支配されてしまいます。だからこそ坐禅、瞑想、読経などをして心を落ちつかせ、明鏡止水(めいきょうしすい)のような心の状態をつくっていく訓練も大切です。それが欲望に負けない正しい判断をすることになると思うのです。