2016年1月3日(日) 473/1000
<私の人生>
皆さんおはようございます。
今年で53才になる。人生80年とすれば折り返しもとうに過ぎた。一人ひとりの人生があるように私にも人生がある。しかし、この世の人生はいつか終わる。いつか終わるとするならば、その終わりは、「後悔のない人生だった!」と自信をもって言えるような
終わりを遂げたいものである。
であれば日々の些細な不満、不足に嘆いていてはなにも始まらない。では些細なこと
とはどんなことであろうか。それは、簡単である。この出来事は些細なことと思えばいい。しかし、そうは思えないのが現実であるので、それはそれとして受け入れて、自分を高めていくことをしていれば、振り返ればその出来事は、やっぱり些細なことと思えてくるのではないだろうか。そうすれば同じ出来事に遭遇した時に、些細なこととして対応できる。自分の人生という時間をそこに留まらせておくのはもったいないと思えてくる。
チャールズ・ダーウィンの言葉
「1時間の浪費を何とも思わない人間は、人生の価値を見いだせていない。」
そうだ、人生とは時間だ。時間を刻み、死に刻一刻と近づいているといっていい。だとするならば、時間を有意義に使っていかないと無駄死になってしまうのである。
我々は時間を何に使っているのだろうか。そう考えると多くの時間を仕事というものに使っている。ということは人生の大半を仕事に使うことになる。これは大変なことである。では、その仕事とどのように向き合うかが人生ということになるのではないだろうか。
与えられた仕事を自分のためだけにひたすら続けること、また不平、不満を言いながら仕事をすることになれば、毎日が強制労働となんら変わりない。そんなつまらない仕事であるならばやる価値もない。こんなつまらない人生は生きる価値もない。ということになってしまう。ただ、「存在」しているにすぎないということと同じとなる。これは虚しいことである。
アルベルト・アインシュタインの言葉
「誰かのために生きてこそ、人生には価値がある。」
私はあえて「自分のために仕事をしよう。自分が幸せになるために一所懸命にお客様や周りの人を喜ばせる努力をしよう」という考えを伝えたいと思っています。そしてその先にあるものが、自分のためだけではなく、お役に立つ、貢献してこそ生きがいというものが生まれてくる。
それに気づいたその時、強制労働から開放され、自立した人格が形成されてくる。
そして「幸福感」というものを感じることができるのではないだろうか。
アメリカ合衆国第32代大統領フランクリン・ルーズベルトの妻、エレアノ・ルーズベルトの言葉
「幸せはゴールではなく、満足に生きた人生の副産物なのです。」
誰しも幸せになりたいと思う。私もそうだ。しかし、幸せとは目に見えないものであるから、手にした時の実感がない。だからこそ、人生という時間の使い方、毎日の時間の使い方をよくよく考えていきたいものである。