2015年6月10日(水) 266/365
<便利と不便>
皆さんおはようございます。
私の携帯電話の使い道は電話とメール。他の機能は殆ど使用しない。いや使い方を知らないといった方が素直だ。
先週の日曜日の夕刻にその携帯電話が壊れた。携帯電話が壊れたというだけで、なぜか憂鬱になる。なぜだろうか。
家のどこにいようとも携帯電話と一緒に移動をしていることに気づく。何だかへんだ。携帯電話が生活の中にどっぷりと入り込んでいる。
単に不便ということでなく、不安という感覚に陥ってしまっている。これは危険だ。
電車の中で若者が下を向き、親指で携帯電話を触っている姿を批判していたが、当の私も似たようなものだ。
電車に乗る時は、自動販売機で切符を買い、自動改札機を通す。今では、新幹線の切符をインターネットで購入し、カードで自動改札機に通っていく。
知らない街に行く時は、車のナビゲーションが案内してくれる。方向音痴の私にとっては、この上なく有難い機能である。
実に便利になったものである。
この先は、もっと進歩しているだろう。
未来の携帯電話は、どこでも相手の映像を立体的に映し出して、会って話すことがなくなるかもしない。会って話すからこそ得られる心と心の繋がりがあるはずである。
自動改札機は、「ピッ」ってやらなくても通るだけでよくなる日も近いそうだ。いずれは無くなるでしょうね。お金を使っているからこそ、お金の価値や有難さを実感できるはずである。
よくよく考えれば便利になれば考えなくなる。考える必要がなくなる。
便利の反対は不便なのだろうか。
便利によって得られること、失うこと。
不便によって得られること、失うこと。
便利で楽な方ばかりに気が向いてしまって、一日一日コツコツと積み重ねていく地道な努力が軽視されることになってしまっているように思えるのです。
私たちは、便利によって失ってはいけないものを失っているかもしれない。
人と人、人と物との付き合い方に大きな変化の時代となっていますが、何が大事であるかを考えていきたいと思います。