2017年3月15日(水) 910/1000
<よい使い方>
皆さん、おはようございます。
「生き方のセオリー」(致知出版社)より引用 その2
著者:藤尾秀昭氏
******************************************************************************************
この世の中、そのままがわれわれにとっては道場であります。
生まれて死ぬまで人間は修行しているものと思われます。
それは「使い方」の修行です。
身体の使い方。心の使い方。金の使い方。力の使い方。
知恵の使い方。鮮やかな使い方。正しい使い方。
自然に添う使い方。気持ちのよい使い方。
--それを毎日修行する。
そのための人生は心づくりの道場であると思います。 (11月22日)
【常岡一郎一日一言】
******************************************************************************************
修行というのは、自分の意志で目的をもって修行するもんだと思っていました。でも常岡一郎さんは、人間は生まれながらにして「使い方」の修行をしているというのです。 生まれて死ぬまで、一人一様の人生があります。短い人もいれば長い人もいる。それは誰にも分からず、与えられた限りある命であるわけです。その命をどのような使い方をするかが、この世の修行というわけですから、考えたこともなかった命の重さを感じてしまうんです。
様々な辛いことや苦しいことが勝手に押し寄せてくるわけですが、それは日々の行いを改めさせるために天から与えられるもので、逃げ回っても、避けようとしても気づきが得られるまでは、与えられ続けるメッセージだと聞きました。
だから、日々の行いにおいて、尊い自分を活かしていくという心掛けと実践が大切になるというわけです。そう考えると、毎日の生活のなかで改めなければならないことが薄らと見えてきます。
こんなことを考えていると「生きる」って、とっても窮屈に感じてしまいますが、そうではないと思うんです。今の自分がやっていることは、「よい使い方をしているか?」と考えればいいと思うのです。
もし、そうではないとすれば改めればよいわけです。その繰り返しの中で人間としての成長があると思えるのです。