2014年10月14(木) 22/365
<なんのために>
今年の冬の2月、ソチ冬季オリンピックを思い出します。多くの感動的なシーンが多くありました。涙、笑顔、ガッツポーズ、どれをとってもドラマがありますよね。
浅田真央選手。4年前のバンクーバーオリンピック。キムヨナ選手に負け、惜しくも銀メダル。インタビューの悔し涙は忘れられません。
その4年後の今年はソチオリンピック。日本中の国民が今年こそ金メダルの期待。朝4時頃でしたでしょうか、私も生中継で見てました。前半のショートプログララム。緊張のあまりか転倒の連続。見てられない状況。日本人はもうダメだとガッカリしたでしょう。
落ち込む浅田選手。一夜明けたフリープログラム。全ての演技が完璧。観客は、スタンディングオーベーション。喝采です。演技終了の瞬間、空を見上げる。視線の先は天井。しかし、浅田選手には天井は見えない。念いだけが蘇ってくる。私は、何のためにスケートをしてきたのだろう。金メダルじゃなかった。私は、観客に感動を与えるためにスケートをやってきたのだと気づいたのではないだろうか。インタビューは笑顔。
この文章を書きながら、私も涙がにじむのです。
フィギアスケートのミッシェルクワン選手の言葉を思い出した。長野オリンピック銀メダル。ソルトレイクシティー銅メダル。そして、年齢的にも最後のトリノオリンピックの挑戦。その年の前哨戦である世界選手権など優勝がつづき、金メダル確実とされていたが、試合前日にケガで棄権となる。
ミッシェルクワンさんの言葉。
「私は、オリンピックで金メダルと取ることが夢だった。夢をつかむのがスポーツなら、夢に届かないのも、またスポーツ。でも精一杯、努力することこそがスポーツなのだ。私は精一杯努力した。だから夢をつかめなくても後悔はない」
これぞ心技体。いかなる国、いかなる人種であろうとも通じる心であると思う。
同じく、ジャンプの葛西紀明選手。7回のオリンピック経験者ではあるが、メダルはない。今回そこメダルの期待がかかる。 個人ラージヒル銀メダル。笑顔のインタビュー。かたや団体戦は銅メダル、涙のインタビュー。個人戦では笑顔、団体戦では涙。
笑顔と涙の違いはなんだろうか。
葛西選手は、若い選手にメダルと取らせてあげたかったと涙で語った。苦楽を共にした選手同志の絆の深さ、日本人の和を大切にする心。葛西選手は、個人より和の心に涙したのではないだろうか。
笑顔の浅田選手、涙の葛西選手。どちらも過去の努力の末に辿り着いた境地。スポーツは、実に美しい。
仕事に向きあう姿勢は、スポーツと同じであろう。