2020年3月15日(日) 1032回
<一歩引くことの大切さ>
子育てのこころ(禅文化研究所)
盛永 宋興氏著(元花園大学学長、大珠院先住職)より抜粋 その4
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お釈迦さまのところへ、ひとりの短気者のバラモンのお坊さんが怒鳴りこんできたことがあります。それは、お釈迦さまが世の中へおでましになり、いろんな話をしてみんなの眼(まなこ)を開かれるものですから、そのバラモンの息子がすっかりお釈迦さまに帰依して、弟子になってしまったのです。
そこで、癇癪(かんしゃく)もちのこのバラモンの坊さんが、お釈迦さまに、
「このまやかし者め、人の息子を取りやがって」
というような調子で、悪口雑言(あっこうぞうごん)を並べ立てて怒鳴り込んだのです。
お釈迦さまは、黙ってそれを聞いておられました。いきりたっているバラモンが、もう言いたいことは洗いざらい、言い終わったところで、お釈迦さまが静かにこう聞かれたのです。
「あなたは、家にお客さんを招かれたことがありますか」
そのバラモンは怒っていたのですが、意外な質問に戸惑いながら、
「あたりまえだ、客ぐらい来るわい」
「じゃあ、お客さんが来られたとき、あなたはご馳走を出されることがありますか」
「決まっとる。俺だってご馳走を出す」
「もしそのとき、お客さんがお腹いっぱいで、せっかくのそのご馳走をひとつもたべないで帰っていったとするならば、その残されたご馳走は誰のものになるでしょうか」
「決まっとる、俺が出したんだから俺のものだ」
「そうですか。じゃあ、あなたがいま私に向かってさんざん言った悪口雑言を、私がひとつも受け取らなかったとしたら、それはいったい誰のものになるでしょうか」
こう言われて、さすがのバラモンも、お釈迦さまをさんざん罵倒(ばとう)したことで自分の値打ちを下げたこと、自分の徳を下げたこと、自分の品位を下げたことなどを、はっきり知ることができたのです。そして、その後、
「世尊よ。明かりをつけて、目あるものは見よというがごとく、はっきり私の迷いをさましていただいた」と言って、そのバラモンもお釈迦さまに帰依しています。
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世の中は、自分の思い通りにならないことがとても多いものです。とかく、自分の考えと相反し相手と意見が対立するとなれば、自分の正義を振りかざして言い合いとなり、最悪の場合は絶縁となっていきます。
しかし、よく考えてみると対立というのは、お互いの正義がぶつかりあっているという状態です。だから、どちらか一方が引かない限り、お互いの関係はよくならないということになります。
だから、実践するべきは、「一歩引く」ということではないだろうか。これは、とても勇気がいります。でも引くことで得られることもあるように思えるのです。相手との人間関係の継続や、また大きな視点で物事を捉えることができる人間的度量の成長にもなっていきます。
人間の悩みの根本をたどれば、殆どが人間関係であると思うのです。自分の考えばかりを相手に押し付けるのではなく、相手を受け入れる人間になりたいものです。全ては自分次第でどうにでもなるということなでしょう。