2020年5月6日(水) 1035回
<なくてはならぬ人になる>
小さな人生論(致知出版社) より抜粋 その1
藤尾秀昭著
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むかし、魏王が言った。「私の国には直径一寸の玉(ぎょく)が十枚あって、車の前後を照らす。これが国の宝だ」。すると、斉王が答えた。「私の国にはそんな玉はない。だが、それぞれの一隅をしっかり守っている人材がいる。それぞれが自分の守る一隅を照らせば、車の前後どころか、千里を照らす。これこそ国の宝だ」と。
この話にこもる真実に深く感応したのが、安岡正篤師である。爾来(じらい)、安岡師は、「一燈照隅(いっとうしょうぐう)」を己の行とし、この一事を呼びかけ続けた。
「賢は賢なりに、愚は愚なりに、一つのことを何十年と継続していけば、必ずものになるものだ。別に偉い人になる必要はないではないか。社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならなぬ人になる。その仕事を通じて世のため人のために貢献する。そういう生き方を考えなければならない」
その立場立場においてなくてはならぬ人になる。一隅を照らすとはそのことだ。という安岡師の言葉には、私たちの心を奮起させるものがある。
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仕事をする。仕事は生活の糧を稼ぐためにするものであるが、それだけのためであるならば、仕事は単に生きるためだけの道具と化してしまう。多くの時間を仕事に費やしているわけだから、それでは虚しいではないか、と思えるのです。
自分の仕事が人の役に立っている、という実感が持つことができたら、働きがいが生まれてくる。だから仕事と人生という考え方を伝えていく必要があると考えているのです。その過程において、甘い事ばかりは言っていられません。「甘さ」は、その人の成長を妨げるものであり「冷酷」と言えます。「厳しさ」は、その人の成長を願ってのことであり、「優しさ」と言えるでしょう。 その人が仕事を通じて「なくてはならぬ人になる」、そのことが人を大切にすることであると考えています。