2020年10月17日(日) 1049回
<”ありがとう”を伝えよう>
「置かれた場所で咲きなさい(幻冬舎)」より抜粋 その2
渡辺和子氏著
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数年前のある朝のことです。一人の中学二年生の自殺を告げる電話があり、報告を終えた校長は、「入学してから今日まで、あれほど、いのちを大切にしましょう、いのちは大切、と話してきたのに」と嘆くのでした。
翌週、私の大学での講義が、たまたま、いのちに関するものだったので、この件に触れ、学生ともども生徒の冥福を祈りました。
私の授業は、集中講義で人数が多いこともあって、出欠席はメモで取り、学生はメモの提出時に、任意ですが、裏に感想や疑問などを書いてよいことになっています。その日の授業後に提出されたメモを読んでいたところ、次のメモが目に留まりました。
「最近、こんなCMがありました。いのちは大切だ。いのちを大切に。そんなこと何千何万回いわれるより、“あなたが大切”だ、誰かにそういってもらえるだけで、生きてゆける」。その学生は続けて、「近頃、この言葉の意味を実感しました。“私は大切だ。生きるだけの価値がある”そう思うだけで、私はどんどん丈夫になってゆきます」
この学生は、きっと誰かに“君が大切”といわれて、生きる自信をもらい、丈夫になったのでしょう。二年後に卒業していきました。
いのちが大切と何度教室で聞かされても、ポスターで呼んでも、そのことが実感できなくては、だめなのです。実感するためには、心に届き、身に染みる愛情が必要なのだと、私も自分の経験を思い出しました。
60年以上も前のことになります。戦後、経済的には苦しい中で高等教育を受けさせてもらっていた私は、英語も習いたくて、通学しながら上智大学の国際学部という夜学で、教務のアルバイトをしていました。そこは、当時日本に駐留していたアメリカの軍人、兵士、家族などを対象とした夜学でした。
戦争中、英語はご法度だったこともあって私の語学力は貧しく、初めての職場経験ということもあり、仕事を決して一人前のものではありませんでした。
そんなある日、仕事の上司でもあったアメリカ人神父が私に、「あなたは宝石だ」といってくれたのです。兄や姉に比べても、劣等感を持ち、自分は「石ころ」としか考えていなかった私は、一瞬耳を疑いました。しかし、この言葉は、それまで生きる自信がなかった私を、徐々に、“丈夫”にしてくれたのです。
「宝石だ」、これは私の職場での働きに対していわれたのではなく、存在そのものについていわれたのだ、ということに気付くのにさして時間はかかりませんでした。
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人は一人では生きてはいけません。家族は勿論のこと、友人や仕事で関わる方々、またお客様、仕入先など多くの方々との関わりの中で生きているのです。つまり、支えられて生かされているとも言えるのです。そのように考えると、有難い気持ちとなってきます。だから、目の前の人に「ありがとう」を伝えていこう。「ありがとう」をいっぱいにしよう!