2017年3月8日(水) 903/1000
<幸せの入り口>
皆さん、おはようございます。
致知2月号(致知出版社)
「返しても返しきれない数々の大恩よ」 その2
国際コミュニオン学会
名誉会長 鈴木秀子氏
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私たちは手足が自由に動くことも、毎日三食を口にできることも、家族がいることも、誰かが親切にしてくれることも、電車が動いていることもすべて「当たり前」と思って、感謝するどころか、そこに不満の種すら見つけてしまいます。しかし、静かに思いを巡らせてみると、「当たり前」のことなど一つもなく、すべてが奇跡の連続なのです。
そのことが分かるのは、「当たり前」と思っていた環境を失ってしまった時です。病気をしてはじめて健康であることのありがたさが身に沁みます。両親が亡くなって、その存在の大きさに気づかされます。大きな地震でもあれば、「当たり前」と思っていた生活はたちまち混乱に陥ってしまうことでしょう。
先日見たテレビで、戦争によって飢餓状態が続くシリアの様子が映しだされていました。一人の母親は子供たちに食事を与えるため、自分は腹部をベルトできつく締め、水だけで飢えを凌いでいました。これが海外の現実です。それを思えば、日本がいかに恵まれているかがよく分かります。
私たちが「当たり前」と思っていることを「ありがたい」と感じる心の習慣が身につくと、その人の運勢がどんどんよくなり、心身ともに健康になっていきます。幸せなことが次々に起こるようになります。これは多くの人を見てきての私の実感です。
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私たちの生活は、何もかもが何の不思議もなく、「当たり前」の中に埋もれ、有難いという気持ちを忘れてしまっています。それでも、今の「当たり前」は当たり前ではなく、有難いことであると感謝の気持ちを持つことが大切であるように思います。
それでもすぐに「有難い」気持ちを忘れてしまうのです。だから、一日一回は手を合わせ一日を振り返り、一日の無事に感謝すること。また朝起きて一日を感謝でスタートすることで自分の正していこうと思っています。
爆弾や鉄砲が飛び交う国では、愚痴や不平不満を言っている余裕はありません。常に死と隣り合わせの中で、死の恐怖におびえながら家族が生活しているわけです。しかし、日本という国はとても安全で安心、平和な国なわけです。幸せな国に産まれたという自覚と、これを「当たり前」ではなく、「有難い」気持ちで生きていくことが、幸せの入り口であるように思えるのです。