2017年2月15日(水) 882/1000
<思う心が幸せを決める>
皆さん、おはようございます。
「宇宙も神様もぜんぶ味方につける習慣」(宝島社) その11
著者:小林正観氏
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今日、自分が「ああ、私は幸せ」と思ったとします。そうすると昨日までに体験したイヤなことすべてが、「今日の幸せ」に至るための原因であったことがわかります。
逆に、今日「私は不幸」と思ったとしましょう。すると昨日までのすべての出来事が「不幸」の原因となってしまいます。
しかし、今日「私は不幸だ」と思った人でも、翌日に嬉しいことがあると、突然「私ほど幸せな人はいない」と思ってしまう。このことはオセロゲームにとても似ています。
「幸」と「不幸」は、オセロゲームのように白と黒がすぐにひっくり返るのです。つまり「幸」も「不幸」も絶対的なものではないということになります。
「私」の気分ひとつで変わるのです。今日「幸せ」と思えたら、その「幸せ」まで連れてきてくれた過去に対して感謝できるのではないでしょうか。「幸せ」とは、「幸せ」という現象があるのではなく、そう思う心が存在するだけ。どんな現象も、どう思うかによって「色」が決まります。
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過去の困難だった出来事を振り返れば、あの時、あの出来事があったからこそ強くなれた。あるいは、あの涙があったからこそ、人の有難さ感謝できる人間になれた。という思いをしたことは、誰でも経験があるんじゃないでしょうか。
でも、その渦中にいる時は、そんなことを感じる余裕なんてありゃしません。「不幸」の真っ只中なんです。そしてその嵐が過ぎ去ってから振り返ると、その出来事の見方が変わり、「あのことがあったからこそ、今があるんだ!」という思いに至り、「幸せ感」を取り戻すことができるようになるんじゃないかな。
そのように考えれば、困難という「不幸」の出来事のあとには、「幸」というものがやってくるのだから、「幸」を先取りして、
「この困難のあとには必ず幸せが待っているんだ。頑張ろう!」
と前向きに考えた方がいいんじゃないだろうかと無理やりにでも思う方が救われる気がしています。
「幸せ」というのは、「幸せ」という現象があるのではなく、どのように思う心だけが存在するという小林氏がおっしゃる言葉から、その出来事の捉え方、考え方で「幸」と「不幸」が決まるんだということ教えられました。
両親への感謝。
家族への感謝。
働く場所があることへの感謝。
仲間がいることへの感謝。
大切に思える人への感謝。
なんと有難いことなんでしょうか。
そのように考えると、感謝に包まれているように思えるんです。拝