2017年2月12日(日) 878/1000
<ジッセンジャー>
皆さん、おはようございます。
「宇宙も神様もぜんぶ味方につける習慣」(宝島社) その8
著者:小林正観氏
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自分が仕事や家族関係に満足しているとき、ニコニコするのは簡単です。逆にいろいろと問題を抱えているときにニコニコするのは難しい。それでも、どんなときでも怒らず、イライラせずにニコニコすることを「実践」と呼びます。実践できる人を「メッセンジャー」にならって、「ジッセンジャー」と言いますが、ジッセンジャーは自分の学んだ人間としての楽しい話、あるいは宇宙の構造を自分の日常生活の中に24時間365日応用して生きています。
しかしあるとき、「戦争を起こす人だけはどうしても許せない」というジッセンジャーになりきれない女性に会いました。私は、その「許せない」という気持ちが戦争を起こすのだと思うのです。戦争を起こしている人は、自分たちが間違っているなんて少しも考えません。自分が正しい、正義だと思っているのです。戦争を起こす敵意や憎しみの根源に、実は「正義感」や「使命感」がるのではないでしょうか。
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僕が家庭で実践しているのが、「靴揃え」実践です。玄関の靴、トイレのスリッパを脱いだら揃えるという、簡単な実践なんです。他人からすれば笑えちゃう話なんですが、最初は大変でした。
玄関に入れば、脱ぎ散らかされた数々の靴。家には女房と次男の三人暮らしなんですが、10人は住んでいそうなおびただしい靴なんです。それを玄関に入るたびにきっちりと揃えるんです。腹が立つのは、僕の目の前で脱ぎ捨てるんですよ。そんな時は、実践中の身であるので、ぐっと堪えて揃えるんです。万が一、女房に注意しようものなら、「あなたが好きでやっているんでしょ、嫌なら止めなさいよ」という”喝”がくるのは分かっているので言えません(涙)
そんな繰り返しの中で湧き上がってくる感情は、「俺がやっているのに・・・」というものです。ジッセンジャーは怒っちゃいけませんね。
あれから2年。今も脱ぎ散らかされた靴と向き合っていますが、僕の感情は常に平静なんですよ。ちょっとは、成長したかもね。「これも心の修行だ」、「靴揃えをやらせてもらっている」、という気持かな。
ジッセンジャーには師匠ってもんがいるんですが、その師匠ってのが厳しい方なんですよね(^^)。これって、とっても幸せなことかもしれませんね。。。
ジッセンジャーは今日も行く!