2017年1月23日(月) 859/1000
<批判>
皆さん、おはようございます。
修養のすすめ(致知出版社)より引用 その7
著者:北尾吉孝氏
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戦国武将・島津義弘が残したとされる「薩摩の教え」の中に、
一、何かに挑戦し成功した者
二、何かに挑戦し、失敗した者
三、自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者
四、何もしなかった者
五、何もせず批判だけしている者
と、人物の序列について書かれています。言うまでもなく「何かに挑戦し、成功した者」は一番です。
二番目の「何かに挑戦し、失敗した者」には、挑戦してやろうという気概があります。そして何でもかんでも一人でできるわけではないですから、「自ら挑戦しなかったが、挑戦した人の手助けをした者」も値打ちある者と言えましょう。
最低最悪なのが「何もせず批判だけしている者」ということで、一人前のことをいう人で何もしない人は意外に多くいるように感じます。要するにこれは「胆識(たんしき)」を有していない人」、つまり「勇気ある実行力を伴った見識を持っていない人」を指しています。こういう人は、見識あり気に見えながら批判に終始し何ら挑戦することもなく、だから当然失敗することもありません。何かにチャレンジして初めて、何のために産まれてきたかがだんだんと分かってきます。仮にその時失敗という結果が出たとしたら、その人がこの世に生を受けたのはそのためではないのかもしれません。あるいは、それは将来の成功を目指しその失敗を教訓にしなさいといった天の采配かもしれません。私はいずれにせよ、。事の正否に拘わらず全ての努力に無駄はないと思います。
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一所懸命に頑張っている人は顔つきがちがいますよね。そんな人には必ず応援者がいます。失敗するということは、行動している、挑戦しているという証です。裏を返せば、失敗していないということは、何も行動していない、挑戦していないとも言えます。行動しなければ、自分も、自分の周りにいる人たちも、何も変わりません。”変わる”ということは、成長や幸福に向かうための絶対条件であると考えているんです。
人の批判ばかりしている人は、行動が伴っていない人が多いようです。僕はそのような人と話はしますが、あまり議論する気になりませんし論破もしません。人の批判を絶対にしないというのは無理かと思いますが、批判している自分に気づいた時は、相手の良い所を見てあげることも必要なように思います。なぜなら、自分の悪魔が目を覚ましてしまうと考えているからです。
人の批判ばかりしている人の言葉を受け入れてしまうと、自分がおかしくなってしまうので、「この人は、こういう人なんだ!」というふうに割り切っちゃうことも必要なように思えます。それでも、自分に対しての批判は腹が立つこともありますが、それはそれで真摯に受け止める姿勢も必要であると思っています。
いずれにせよ、批判する前に、批判することを自分に当てはめ、自分自身はどうかと考えることも自分を磨いていくことではないでしょうか。