2017年1月19日(木) 855/1000
<話すことは、伝えること>
皆さん、おはようございます。
修養のすすめ(致知出版社)より引用 その4
著者:北尾吉孝氏
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老朽(年老いて役に立たないこと)と対になる「若朽(若いにのに気力に欠け、役に立たないこと。またその人)」という言葉がありますが、ついこの間話したことも完全に忘れ、また同じ話をしているような若者は意外と多くいて、やはり若くして年老いている若朽という状況は大いに問題だと思います。この若朽ということについて、安岡正篤先生は『百朝集(ひゃくちょうしゅう)』の中で、「壮年になると、もう学ぼうともせぬものが随分多い。生活に逐われて忙殺されておる間に、段々志まで失ってしまうのである。そうすると案外老衰が早く来る。いわゆる若朽である。肉体だけ頑健でも、精神が呆(ぼ)けてしまう」と言われています。
そうして、壮にして学ぶことがなかった人がある程度の年齢になり、幸運にも社会的な地位を得たという場合、例えば結婚式の挨拶を主賓でやるとか様々な挨拶を大勢の前でやるといったこともあるわけですが、「あの年になって、よくもまぁこんな詰まらない話をするなぁ~」と思える人もいます。
どこかの席上で何かを頼まれたのであれば、出席者に何らかの印象を残せるような話ができるように努めるべきですし、少なくとも「詰まらないなぁ~」と思われないようにすることが、それを引き受けた者の最低限の務めです。偉くはなったもののお粗末な話しかできないような人は、人前で話すということを頼まれたとしても結局自分の恥になるだけですから、基本的には引き受けない方が良いとさえ言えるのかもしれません。
ある程度の年を取って、それだけ人間として成長していないというふうにも見えるわけですから、やはりお互いそういうことにならぬよう、「壮にして学べば老いて衰えず(壮年になって学べば、年を取っても衰えず、いつまでも生き生きとしていられる)」というふうにしたいものです。
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人前で話すことが大の苦手だった僕にとって、人前で話す時はいつも足がガタガタと震えていたんです。そんな僕がなぜか人前で話すことが多くなっちゃって、不思議なことだなぁ~と思うんです。でも少しは度胸がついてきたように思います。
浜松西倫理法人会の会長を仰せつかり、レクチャラーという役割まで頂いたことで、本当に「話すこと」、「伝えること」の難しさを体感しながら勉強させてもらっています。
そのきっかけをつくってくださいました、渡邉相談役には心より感謝しているんです。
渡邉相談役がいうには、「同じ話を何度もすればいい。そうすれば、内容に磨きがかかるんだよ」と言ってくださいます。まぁ、結局のところ、かっこつけても無理だし、すぐにバレちゃうし、経験したことの話しかできないので、背伸びしないで素直に話した方がいいんじゃないかと思えています。
「話すことは、伝えること」
経営者としても大事な要素であると思います。自分の思いの丈を話し、相手の心に届くように磨き込んでいきたいと思います。