2016年12月27日(火) 832/1000
<貪瞋痴(とんじんち)>
皆さんおはようございます。
修養訓(致知出版社)
「人間を滅ぼす三つの毒」より引用
著者:藤尾秀昭氏
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お釈迦さんは、人間を滅ぼす三つの毒があると言っています。
「貪(とん)」は貪(むさぼ)る心、欲望ですね。次から次に欲望を抱いていく、それが人間を滅ぼす。
「瞋(じん)」は怒り。人間は自分の思いのままにならないことを怒り、恨みます。
「痴(ち)」は愚痴。なんで愚痴がでるかというと、正しいことを見きわめられない愚かさから愚痴が出る。
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インターネットの「こころの図書館」で次のようなことが書かれていた。
お釈迦さまのお言葉に、「水をくみ出したならば舟は軽やかに進むであろう」というものがある。たとえば、遊園地の池に浮かんでいるような手こぎの小舟があるとする。この舟の中に水が一杯たまっていると、重くて漕いでもなかなか進んでくれないが水をきれいにくみ出してしまうと軽やかに進むことができる。それと同じように、私たちの心の中が水びたしになっていると冷たく重苦しくて仕方がないが、水をくみ出してしまえば軽やかにのびのびと生きていく事ができる。
心の中に何もないのが心のいちばん理想的な状態だからであり、何もない心のことを「無心」という。この心の中にたまった水のことを仏教では煩悩(ぼんのう)と呼んでいる。
人間には108つの煩悩があると言われ、除夜の鐘を百八ツつくのは この煩悩を退治するためだという。しかし鐘をついたぐらいでは、なかなか煩悩は退治できるものではない。
○三毒(さんどく)
数ある煩悩の中で「貪りの心」「怒りの心」「愚痴の心」の三つを、人間をいちばん苦しめる毒薬という意味で「三毒」とよんでいる。仏教では「怒り」を「瞋(いか)り」の字で書きあらわし、「貪瞋痴(とんじんち)の三毒」とひとまとめに言うことが多い。
一番目の「貪(むさぼ)りの心」とは、自分の好きなものに執着し、欲のために心が病気になることである。白隠禅師の歌に、「知者も善者も浮き世を見るに色と金には皆迷う」とあるように、色と金に迷う人がいちばん多いようであるが、「欲を心から離れてみやれ 何がなくとも充分じゃ」となりたいものである。
二番目の「怒りの心」は、自分の嫌いなものに対して反発したり腹を立てたりする心をいう。怒りの心が、どのぐらい自分自身を苦しめるかは、喧嘩をした時の不愉快さを思い出してみればよく分かる。さらに怒りがこり固まって恨みとなると、かなりの重症である。怒りは人を損なうことが大きいけれども、反省して改めれば比較的退治しやすい煩悩と言われ、怒りの病に対しては「忍」が治療法である。忍とはひたすら耐え忍ぶといった消極的なことではなく、自分の気に入らないことがあっても腹を立てずに冷静に対処できる積極的な心のことである。
貪りの心は自分の好きなことに執着する心、怒りの心は嫌いなものに反発する心だから、好き嫌いの激しい人はそれだけ 苦しみの多い人生を送ることになるのかも知れない。
三番目の「愚痴の心」は、「道理をわきまえない愚かな心」と説明されている。全てのことを自分の思い通りにしたい、自分だけは年を取らず病気にならずいつまでも生きていたい、好きな人とだけお付き合いして嫌いな人は顔も見たくない、というわがままな心のことである。この愚痴の心は「無明」とも呼ばれ、迷いの心の根源とされる。
愚痴の心から貪りの心がおこり、貪りの心あるところには必ず怒りの心がある、というように三毒が出そろい、さらに様々な煩悩に枝分かれしていくのである。
愚痴の心に対しては、当然のことであるが「道理をわきまえた明らかな知恵」が 処方箋となる。自分の好き嫌いに合わせて世界が回転している訳ではないから、道理をわきまえて道理に自分を合わせるのである。
僕の心の中を読まれているような気がしました。いつも生意気なことをいいながら、その心中は雑念に覆われているんです。人間力を高める勉強をしていかなければならないと思っています。