2016年12月18日(日) 823/1000
<仕事はお返し>
皆さんおはようございます。
修養訓(致知出版社)
「損得より尊徳に生きる」 より抜粋
著者:藤尾秀昭氏
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天保10(1939)年に生まれ、一代で森村グループを創業した森村市左衛門は、明治40年、68歳の時にある雑誌に要旨(ようし)次のような談話を発表している。
「人は正直に全心全力を尽くして、一生懸命に働いて、天に返してさえおけば、天は正直で決して勘定違いはありません。人ばかりを当てにして、人から礼を言われようとか、褒められようとか、そんなケチな考え方で仕事をしているようでは、決して大きなものにはなりません。
労働は神聖なもので、決して無駄になったり骨折り損になどならない。正直な労働は枯れもせず腐りもせず、ちゃんと天が預かってくれる。どしどし働いて、できるだけ多く天に預けておく者ほど大きな収穫が得られる。私は初めからこういう考えで、ただ何がなしに天に貸すのだ、天に預けるのだと思い、今日まで働いてきたが、天はいかにも正直。30年貸し続けたが、今日現にどんどん返ってくるようになりました」
現代は「損得」を基準に生きている人が多いが、昔の人は「尊徳」を基準に生きていたことを、この先人の言葉は証(あか)している。
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天に貸しているというような崇高な思いで仕事に向き合うことなんて、凡人の僕には到底できません。仕事の成果をすぐに欲しくなる自分がいます。
今の仕事をいうのは、お客様からの要望があるから存在しているわけで、その仕事を完遂すれば、社会への貢献となると考えるのです。ただし、そのプロセスが大事になります。自分の利益のためだけを考えているならば、いつか存在価値を失い社会から追放されることになります。ある意味において、奉仕の精神がなければなりません。お客様へ真心をもって尽くす、心底喜んでいただくという誠心誠意の努力が、天が見ていると信じたいのです。
ここまでの道のりを考えると、崖っぷちで「運よかった!」としか言いようがないことがあって、振り返れば天の存在というものを感じずにはいられないのです。だから、仕事というのは、社会への貢献であると同時に恩恵へのお返しであると思えているんです。