2016年12月12日(月) 817/1000
<人を活かす>
皆さんおはようございます。
「二度とこない人生だから今日一日は笑顔でいよう」生きるための禅の心 その7
PHP研究所
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺氏
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人はみな考え方も価値観も生きてきた環境も違います。人はみな違って当然なのです。それをひとつの価値観、考えに無理やりまとめようとするから、争いが起きるのです。真民先生が唱えた「大和楽」は決して同化することではありあません。「和して同せず」という言葉があるように、それぞれの違いを認めた上で、空気のように溶け合って、和合していく状態が「和」であって、その世界が楽しみになるということを「和楽」と表現したのです。
日本の和え物を見てください。すべて同じ味なのではなく、さまざまな味わいがありながら調和しています。違いを認めて融合すること、それが「和」の本質です。
以前、円覚寺で坐禅を組んでいて、その後、海外に留学していた真面目な青年が久しぶりに訪ねてきました。「今度結婚することになりました」と報告します。「それはよかったじゃないの」と私が喜ぶと、青年が「実は困っているんです」と言います。
聞いてみると、結婚する相手の女性がクリスチャンで、教会で結婚式をやりたいと言っているそうです。私は言いました。
「あなた、彼女のことが好きじゃないの?」
「好きです」
「結婚したいの?」
「したいです」
「じゃ、教会でおやりなさい。好きな人がそう言うんだから、それでいいんです」
すると青年は「もうひとつ困っていることがあるんです」と言います。
「実は自分は日曜日にお寺で坐禅を組みたいんです。でも彼女は日曜日は一緒に教会に行きたいと言うんです」
私は再び聞きました。
「あなた、その人が好きなの?」
「好きです」
「結婚したいの?」
「したいです」
「じゃ、教会にいきなさい。ただ教会でお祈りする時は、腰骨を立てて、お腹に力を入れ、祈りも坐禅だと思ってやりなさい」
ここは教会だ、お寺だとお互いに言い合ってけんかしていても始まりません。戦争のかなりの多くは宗教や信仰がもとになっています。そんな信仰ならいらないのです。私は青年にこう言いました。
「きっとあなたが一緒に教会に行って祈っていれば、そのうち向こうもあなたがやっている禅というものを一度見てみようかな、という気になるかもしれない。空気のようになって、何のとらわれもなく、相手を包みこんでやればいいんです」
青年は晴れやかな笑顔で帰っていきました。これが「和楽」の世界です。お互いが譲り合い、お互いが相手をよく理解して、ともに手を取り合って生きていく。その世界が決して不可能ではないことを、仏さまは教えてくれています。私たち人間にしかできないことを仏さまは要求しません。できるかできないかではなく、やるかやらないかではないでしょうか。
空気のようになる!
そうですね
空気のようになり
どんな人の胸の中にでも入り
四六時中その人を守り
その人の力となり
その人を幸せにしたいですね
自分の考えを押し付けて相手を同化するのではなく、違いを認めて、違いを楽しみ、ともに譲り合いながら、手を取り合って生きていく方法を見つけましょう。
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「和して同ぜず」とは、人と協調はするが、道理に外れたようなことや、主体性を失うようなことはしないということ。と辞書にあった。
自分に自信がないと、ついつい人の意見に流されてしまう。反対に自分の意見、意志をしっかりもっている人は、顔つきがちょっと違う。自分を持っている人である。そんな人間になりたいです。
価値観の違う人の集合体である会社組織を一つの目的に合わせることは、容易いことではありません。しかし価値観の違う者どおしが互いに認め合い調和を図っていくことができれば、大きな強みとなっていきます。
人の弱い所や欠点を指摘して伸ばさせようとするよりは、良い所、強みを伸ばしてあげることの方が、その人を活かすことになります。組織には、いろいろな人がいるから、誰かの欠点や弱みを別の誰かが補ってやればいい。そうすれば、人の良い所や強みが発揮され強い組織になっていきます。だから、相手の弱い所、欠点を責めることなく、良い所、長所を見るということが大切になるわけです。
「この人の強みはなんだろうか」
「この人の活かすにはどうしたらよいだろうか」という具合です。
言うのは簡単ですが実践は難しいものですが、でも、やらなければ人を活かしていくことにはならないと考えています。