2016年12月6日(火) 811/1000
<シャボン玉>
皆さんおはようございます。
「二度とこない人生だから今日一日は笑顔でいよう」生きるための禅の心 その1
PHP研究所
臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺氏
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シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた
野口雨情は幼かった自分の子どもを亡くしています。シャボン玉の詞はそのあとつくったものです。シャボン玉はどこにいったのか。実はどこにも行っていないのです。シャボン玉というあの丸い形は見えなくなりましたが、シャボン玉の中の空気も、シャボン玉の外の空気もまったく変わっていません。
シャボン玉の形だけを見ていると、どこかに消えてなくなったように思いますが、見方を変えれば、中の空気と外の空気がひとつになっただけですから、どこにも行っていないのです。
私たちの目に見える像としては、見えなくなってしまったけれども、シャボン玉はどこにも行っていないという、これがいのちの世界(仏教では仏心の世界といいます)です。
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人は死んだらどうなるのか。その答えは死んでからでないとわかりませんが、死んだら全てが終わりという考えは、あまりにも虚しいのです。「どうせ死ぬんだから」というネガティブ思考ではなく、「今日も生きている」「生きているからこそ、出来ることがある」、そういった死生観で毎日を過ごすことができたら、死という恐怖から解放され生き方が大きく変わってくるように思えるのです。
山に降り注いだ雨が川となり、いずれ海にかえる。そしてまた雨となって降り注ぐ。
この世の人生はほんの一瞬です。でも、もっと果てしなく広く長い人生を考えれば、肉体が朽ち果てるこの世の人生だけが全てであるという考えよりも、この世をどう生き、本当の自分を上昇させていくことを考えたいのです。
シャボン玉は消えません。だから恐れることなく生きたいのです。