2016年12月5日(月) 810/1000
<千の手>
皆さんおはようございます。
致知12月号(致知出版社)
禅語に学ぶ「常念観世音」
鎌倉円覚寺管長 横田南嶺氏
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坂村真民先生には「手が欲しい」という詩がある。
「目の見えない子が描いた
お母さんという絵には
いくつもの手があった
それを見たときわたしは
千手観音さまの実在をはっきりとしった・・・・異様なおん姿が
少しも異様ではなく
真実のおん姿に
見えるようになった・・・・」
(『坂村真民全詩集第五巻』より)
目の見えない子供が、お母さんの絵を描いたという。その子供はおそらく、自分は人一倍お母さんに手をかけてきたという思いからか、ご飯を食べさせてくれる手、いつもどこかに行く時に手を引いてくれる手、着替えをさせてくれる手、洗濯をしてくれる手、何本もの手を描いて母を表した。
私たちの目には、二本の手しか見えないが、目の見えない子供には何本もの手が見えたのだ。千手観音さまに千本の手があるということは、千も万もの手でお互い見守られていることを表している。そのことに気がつけば、私たちもまた、千も万もの手になって、何か人さまのお役に立つように努めて参りたいと思う。慈悲の心に守られていると気がつけば、こちらからも慈悲の心がはたらいて出てくる。
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生きているといろいろな人に出会い、いろいろな出来事に出会う。たくさんのことを教えてもらい経験を積んでいく。その繰り返しの中で自分は、多くの人に支えられ生かされていることに気づいていく。でも、ちょっと嫌なことがあると、そんなことは吹っ飛んで我がままがでてしまうんです。
だから毎日を振り返り、よい事もそうでなかったことも感謝をすることが大切であるというように思えています。
ここまで育ててくれた両親への感謝、家族への感謝、ここまで導いてくださった多くの方々、会社では、多くの社員に支えられていることを思うと感謝を思わずにはいられないのです。
「千の手で支えられている!」という横田南嶺さんの言葉は、自分を見つめるための教えが凝縮されているように感じます。
だから大した能力もない僕が経営者という役割を仰せつかったという意味を心に刻み、その役割を全うするために務めていかなければならないと思っています。