2016年10月5日(水) 749/1000
<与える幸せ>
皆さんおはようございます。
致知10月号(致知出版社)
「人生をどう生きるのか」より抜粋
文学博士 鈴木秀子氏、作家 曽野綾子氏 対談
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(曽野)
『聖書』の「使途言行録」に「受るより与えるほうが幸いである」という言葉があります。これは聖句であると同時に素晴らしい心理学の教えでもありますね。
いま少年少女が友人や家族を殺したりする恐ろしい事件が増えていますでしょう?
これらは皆、与えることをさせてこなかった弊害だと私は思っているんです。
私は昔からタクシーに乗ると、よく運転手さんと喋るのですが、地方のタクシーで、素晴らしい話を聞いたことがあります。その方は親から認められないまま結婚をして、やがて女の子が生まれたそうです。ところが、子供が六歳の時に奥さんが亡くなって、お父さんが一人で育てるようになった。
会社に事情を話して夕食の時だけは家に帰って、ご飯をつくって娘さんと一緒に食事をして、という生活だったそうです。そのお父さん、とても疲れているのに「後でお父ちゃんが片付けるからな。茶碗はそのまま放っておきなさい」と言って、また会社に戻るんですって。
ところが、帰宅するとその六歳の子が綺麗に茶碗を洗い、洗濯機まで回しているんですって。
(鈴木)
立派な女の子ですね。
(曽野)
私は思わず「立派に育てられましたね。お宅のお子さん、絶対にぐれませんよ」と言ってしまいました。というのも、その子は人に与えるという喜びを知っている。だから絶対にぐれない。ぐれるのは与えることを知らない子供たちですよ。
(鈴木)
学生の時、ブリッド学長が「心を自分で調えなさい。心が穏やかでないと与えることができないから」とよく教えてくださった言葉を思い出していました。
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私たちって、「欲しがる人生」を歩んでいると思うんです。私も全くそのとおりなんですが。
これほどに物が溢れ十分に豊かであるにも関わらず、「もっと欲しい、もっと欲しい」と欲張ってばかりいるんだよね。お金も一緒で、賭け事に溺れて際限なく金を欲しがって、金にもて遊ばれている人がいるんですよ。これでは、与える余裕なんてありゃしないね。
「与えること」
でもお金はなかなか与えられないんで、地域の清掃活動に参加したり、お年寄りに席をゆずったり、仕事でも周囲の人を助けてあげたり、とか身の回りを見渡すといろいろあるんだよね。それを気にかけない人は、損得だけで動いているんだよ。なんだか身に覚えがあるような気もします。自分の損得だけで動いている人は、本当に与える喜びを知らないだよね。
もしかしたら、そういう人は寂しがり屋かもしれません。でもひとたび、与える喜びを知った時には、人間って変われるって思うんです。
相手の笑顔って嬉しいよね。与えている人って、案外、たくさんもらっているんだよね。結局、与えれば入ってくる、「たらいの水」の法則があるんだって。そういう人って、優しくて、穏やかなんですよね。