2017年5月27日(土) 983/1000
<相手に花を持たせること>
皆さん、おはようございます。
『愛される人生』KKロングセラーズ より引用
著者:斎藤一人氏
******************************************************************************************
たとえばの話、前から新幹線が猛スピードで走ってきているところ、「よし、勝負だ」とかって、自分からドンってぶつかっちゃったら、バカだよ。だけど、ちょっとよければ風くらいしかこないよね。
それと同じで、言いたいことをいって、人と意見が食い違ったら、自分が正しくても、
「相手が正しい」ということにして、自分がスっとよければいいだけなんです。
「いや~、いいこと聞いた、いいこと聞いた」とかいって、別の場所で、また自分の意見をいってればいい(笑)。そしたら、風くらいしかこないよ。それで、よけるときのポイントは、「あなた間違ってるよ」といわれたとき、「ホントだね。そうだよね」っていう、その速さね。一人さんなんかの場合、もう速攻、折れて、「そうだよね」っていっちゃう(笑)。
そうじゃなかったら、自分がなかなか折れないでいたら、最後に遺恨を残すことになるからね。第一、どっちの意見が正しいかって、当事者が決めることじゃないんだよ。そばで、双方の意見を聞いてる第三者が決める。
「あの人って利口だね。自分が正しくたって、相手に花もたしてあげて、さっと、よけた」って周りの人が決めてくれるんです。だから、意見が食い違ったときは、お互い正しさをいい合う必要がない。
「相手が正しい」ってことにして、さっとよければいい。そうやって、人と争わないことが正しい。精神論でもなんでも、理論でもって「あの人をなんとかして説き伏せよう、説き伏せよう」ってやっちゃう人がいる。人と人が会って話すときは、お互い知らないことを知り合えばいい。そうやって楽しい時間が過ごせれば、それでいい。そのために、精神論なり、なんなりの理論がある。ところが、人は、その理論で、いい争っちゃう。
相手が出てきたら自分が下がってあげる、って決めておけばいいんだよね。
「一人さんその考えは間違ってるよ」って、今、いわれたら、私は、「その通りだね。あなたが正しいよ」っていう(笑)。言い争いはしたくないし、人は人を変えられないからね。******************************************************************************************
もめ事の多くは自己主張のぶつかり合いでしょう。身近な人が、危険な行動や、人の道から外れている行動など相手を心配しての意見のぶつかり合いのようなものもあるだろうけど、そのようなことは案外すくなくて、日常の中で小さなことで、ぶつかり合っていることが多かったりします。
言われてみれば、「あんたは間違っている!」と押し返した所で、お互いに気まずい気持ちになるだけかも。齋藤一人さんのように、間髪入れずに速攻で、「ごめんさい。あなたが正しいよ!」ということにして、よけちゃう。相手に花を持たせ、人と争わないことにする。 そんな手法というか、やり方があるんだ、とびっくりしているんです。
僕も自己主張するときがあります。結局は相手をねじせているだけで、自分は勝ち誇ったような気になっているけど、相手は腹が立っている。そうなると、自分のつまらないプライドは守れたかもしれないけど、得られたものはなく、人間関係を失ったということになっちゃう。これをくり返していれば、自分のことを大切に思ってくれる人が遠ざかっていってしまうんだよね。なんだか寂しいよね。
自分もまともに変えられないんだから、相手を変えられることはありませんね。だから、相手に花を持たせて、人と争わないことって大切だよね。