2016年9月19日(月) 733/1000
<恥を知る>
皆さんおはようございます。
「君子を目指せ小人になるな」(致知出版社)より引用 その16
著者:北尾吉孝氏
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誰かが悪いことをしたときに、昔から「恥を知れ」と怒ります。この「恥を知る」ことは人間にとって非常に大切です。そして、これは「礼」を知っているからこそ起こる感情です。
「之を道(みちび)く徳を以てし、之を斉(ととの)うる礼を以てすれば、恥ありて且つ格(いた)る。:論語
特性を本にした政治を行えば、自分だけよければという我欲は影を潜めて、他を尊重し、思いやり、他人の幸福をも考えていくようになる。そうなれば、世の中は明るくなる。礼を以てすれば「恥ありて且つ格る」で、自ら恥じ入って、他の人々と同じように歩むことができ、それぞれが目指すところに到達する、と言っています。
天から与えられた人間の徳は、人がつくった法令や制度とは異なり、人の都合で変えられません。たとえば日本の法律が制定される過程を見てみると、何か事件が起こり、それを防ぐために、人が常に後追いでつくっていきます。
ところが、「恥じ入る」というのは、その法律に違反したから恥じ入るという部分もありますが、法律になっていないことでも、徳に背いた場合、あるいは自分の良心に背いた場合に、「恥じ入る」ことがよくあります。
つまり「恥」とは、天が人間のみに与えてくれた心の発現なのです。動物は「恥」というものを持っていません。無恥のために動物に転落しようとする。
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組織の和を乱す人がいるが、それこそ恥というものである。ところが恥を知る人間は、恥ることはしない。恥を知らない人間だから恥るのである。いわば、体は大人でも精神は幼稚の域を脱していないということと言える。
恥る行動は、自分の欲求を満たされない時に行動にでる。いってみると自分だけよければよいという自己中心的な人間に多い。
自分の欲求が満たされないと相手に対して罵声を浴びせたり、不満をぶつけたりと、他人から見ると到底大人の行為とは思えない言動となる。
ところが、自分が恥る行動や発言をしているつもりはないが、相手からそれに対して、指摘があると、「恥」に気づくときがあります。そんな時は有難い気持ちになります。
今の自分は大したことはありません。失敗ばかり、間違いばかりです。しかし、失敗を糧とし、素直に間違いと認め正していくことの繰り返しの中で、人間的な成長があるのではないだろうか。