2016年9月15日(木) 729/1000
<君子は義に喩(さと)る>
皆さんおはようございます。
「君子を目指せ小人になるな」(致知出版社)より引用 その12
著者:北尾吉孝氏
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志が立つに伴って、人間の本具する特性や理性・知性は反省することを知ります。反省によって、自分の行為の是非の判断が生じることになります、。この判断が「義」です。 その判断を下すときに一番問題になるのは、「利」という気持ち、すなわち自分の欲望です。これが志の害となりやすいのです。
利は必ずしも悪いものではありません。『論語』を読んでも、『孟子』を読んでも、利が悪いとはどこにも書いていません。
「利を見ては義を思う」、ようでなくてはいけないのです。人は利に迷いがちですが、利に当面した場合、踏みとどまって、その利が義にかなったものであるかどうか、よく考えてみることが大切です。
私利私欲というものが勝ち出すと、どうしても世のため人のためという志から離れがちです。だから「利を見ては義を思う」ことが大切だというのです。
今の世の中は、これとは逆のことばかりが起こっています。中国の食品汚染が騒がれましたが、中国のことばかり言っていられません。日本でも賞味期限や消費期限の偽装あるいは生産地の偽装記載から始まって、船場吉兆のような高級料亭でも他人の食べ残しを使い回ししていることが発覚しました。日本人のなかでも「利を見ては義を思う」ことが忘れられ、行動の動機が利になってしまい、「小人は利に喩(さと)る」という言葉のまま、利にばかり喩っています。「義」を思う人がいなくなったという感を強くします。
「利と義」というのは、まさに人を君子にさせるか、小人にさせるかの分岐点であると思います。生きている間には、利と義のどちらの道を行くのかを選択する機会が何度も訪れます。そういうときに、「これは義に立とう、立たねばいけない」と自分に言い聞かせて行くことが君子への道を歩むことにつながります。
これが「君子は義に喩る」ということです。
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自分に得になること、利益になることにあっと言う間に心が支配されてしうことがあるだろう。それではリーダーは務まらない。自分だけの利益だけでは、誰もついてきません。利益は公のためのものであり、公のためにお金を使ってこそ、お金が生きてくると思うのです。しかし自分の身を削り、疲弊してはなにもなりません。相手も豊かに、自分も豊かに、みんな豊かに幸せになる方法を築き上げていくのです。それが企業の使命であり「義」であるとも言えると思うのです。
企業活動の軸になるのが経営者の考え方です。だから、経営者は、「会社は誰のものか」、「何のためにあるのか」、という考え方を学び、悟り、それを軸に自らを律していく覚悟がいると教えられました。
でも、いつも迷ってばかりいます。そんな時は、「利」であるか、「義」であるのかを自問自答していかなければならないと考えています。