2016年9月14日(水) 728/1000
<仁>
皆さんおはようございます。
「君子を目指せ小人になるな」(致知出版社)より引用 その11
著者:北尾吉孝氏
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「仁」は徳の根本であり、二人以上の人が営む社会にあって最も根本となる徳目です、複数の人が集まって生活を営む社会では、それぞれが自分のエゴを主張していては成り立ちません。そんな集団はすぐに争いが起こり、離散集団を繰り返すことになってしまいます。
集団がまとまって生活を営むためには、お互いが思いやり、親しみ、慈しみ、助け合うことが必要です。それが基本であり、その心を「仁」と言うのです。
「仁」のなかには、「忠」と「恕」の二つがあります。
論語に「曾子(そうし)曰く、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ」とありますが、この「忠」と「恕」を併せて「仁」というのだと私は思っています。
まず、「忠」というのは自分に対する気持ちです。自分の欲求の動きを調和し調節して正しい心を持続する働きを持つための心持ち、努力です。そのために自分自身を欺かず、全力投球し、忠実に務める。これが「忠」です。
一方、「恕」というのは他人に対する気持ちです。「如」に「心」と書くように、
「我の如く相手を思う」という意味です。これは、慈愛の情、仁愛の情、惻隠(そくいん)の情と言い換えてもいいかもしれません。そのように相手を許す寛大な心が「恕」です。 この忠と恕を合わせたものが「仁」なのです。
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人間には、さまざまな欲求、欲望、誘惑に振り回されていく弱い心が存在しています。そのような弱い心に屈せず、正しい行動をする信念がいります。そのためには、正しい考え方を磨き、確固たる自分を築き上げていかなければなりません。しかし、いざという時、築き上げたつもりの信念が揺らぎ迷ってしまいます。そのような時でも原点に戻り、自分を取り戻すのです。その繰り返しの中で心が鍛えられ、信念の強さ、重さというものが確立されていくのではないだろうか。
倫理法人会の教えには、「人を愛して争わず」とあります。それでも、嫌な人や、どうしようもなく相性の悪い人は存在するでしょう。それでも相手を許すという寛大な心が必要だというのです。これらが人の「徳」をつくり上げていくものであり、人として大事な心であるということなのでしょう。
自分に甘く、相手に厳しいという自分の行動を振り返ると、「徳」ではなく、自分の「得」を追っていたのだろうか、と、自分を振り返ったりします。
経営者として、「徳」がなければ、人を動かすこと、組織を動かすことは到底できるものではありません。自分に足りないことを見つめ、反省していきます。