2016年9月13日(火) 727/1000
<自己の確立>
皆さんおはようございます。
「君子を目指せ小人になるな」(致知出版社)より引用 その10
著者:北尾吉孝氏
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「夫(そ)れ学は通(つう)の為に非ざらなるなり。窮して困(くる)しまず。憂えて意衰(おとろ)えざるが為なり。禍福終始を知って惑わざるが為なり」
実に学問というのは、立身出世や生活の手段ではなく、どんなに窮して苦しまず、どんな憂いがあっても心が衰えず、何が禍(わざわい)で何が福なのか、その因果の法則を知り、人生の複雑な問題に直面してもあえて惑わないためのものである、と。
「禍福は糾(あざな)える縄の如し」、「人間万事塞翁(さいおう)が馬」です。何が禍になり何が福になるかは、なかなかわかりません。しかし、因果の法則ー(これを「数(すう)」といいます)ーを知れば、人生の複雑な問題に直面しても惑わなくなる。そのために行うのが学問の本義である、というわけです。つまり、孔子にとっての学問とは、自己の自立性を磨き上げて自由を確立するために行うものなのです。
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「禍福は糾(あざな)える縄の如し」とは、災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものだ。不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする。 成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものだということのたとえ。
「人間万事塞翁が馬」とは、人生における幸不幸は予測しがたいということ。
幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。
どんな人にも過去に辛いこと、苦しいかった、という苦難はある。未来においてもそうであろう。今だから言えることかもしれないが、過去の苦難があったからこそ、乗り越えてきたからこそ、今があると言えるのではないだろうか。そのような経験をした人は多いことでしょう。だから苦難を嘆くのではなく、今の自分に必要だからこそ、この苦難がある。今の自分にとって最適な出来事であると教えられた。言葉では理解はできるが、いざ苦難がやってくれば、それどころではないのが人間の弱いところである。
しかし、少しでも前を向いて歩んでいくためには、日頃の学びが大切であるように思うのです。学びと体験を通じて、自分を磨き込んでいく。それには、自分を成長させていきたいという強い意志がいるのです。それが自己を確立していくことではないだろうか。