2016年9月9日(金) 723/1000
<自分を知る>
皆さんおはようございます。
「君子を目指せ小人になるな」(致知出版社)より引用 その6
著者:北尾吉孝氏
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人間は自得から出発すべきである。
私が敬愛する碩学(せきがく)・安岡正篤先生が次のように言われています。
「人間は自得から出発しなければならない。人間いろんなものを失うが、何が一番失いやすいかというと自己である。根本的・本質的にいえば人間はまず自己を得なければいけない。人間はまず根本的に自ら自己を徹見する。此れがあらゆる哲学、宗教、道徳の根本問題である」
ここにあるように、人間は自己を失いやすいものです。自分のことは、わかっているようで意外とわかっていないのです。
『老子』にも 「人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり」という言葉があります。人を知るのは智者に過ぎないが、自分を知るのは最上の明(明知)とすべきことだと言っているのです。それほど、自分を知るのは難しい、という意味です。
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自分のことは正しいと思っている。正しいと思い込んでいると言ってもいいじゃないだろうか。自分にとって都合の悪いことが起きたとすると、その原因は、客観的に自分の責任や、自分勝手な振る舞いであるにも関わらず、少しでも言い逃れや、責任を回避するために、屁理屈をつくりあげ、相手や周りの人の責任を押し付けるという、実に身勝手でわがままな思考、行動をとってしまうのである。 身に覚えのあることである。これでは、自分という人間の心を自由に操ることはできそうにない。
自分に不備はなかったか。
自分に落ち度はなかったか。
自分の都合で考えていないか。
これは、そもそも自分の責任であり、自分の不徳なのである。と考えた方が解決が早く、ストレスもない。その方が前向きになれるような気がするのです。
今、本当の自分は何を考えているのか。真剣に自分と向き合うことで、自分の醜さと対面するのである。それに気づくと、自分が嫌になったり落ち込んだりするのです。その時、闇の自分ばかりではなく、美しい光の自分がいることにも気づくのです。
どちらに支配されるかは、日常の小さな行動の積み重ねによって磨かれた心によるものと考えるのです。
自分を知るというのは、恐ろしいことでもあります。勇気をもって自分を見つめることが大切であるように思えています。しかし、そんな自分でも相手には丸裸で知られているということなのです。