2016年8月14日(日)
<禍福は糾える縄の如し>
皆さんおはようございます。
致知8月号(致知出版社)より抜粋
「百年先を思いては人を育てる」
錬心舘総本山宗家、国際少林寺流空手道連盟会長 保 巌氏
******************************************************************************************
「人生の禍福は糾(あざな)える縄の如し」というように、幸福が数多く訪れると同時に困難や試練も数多く訪れます。その困難をも受け止め、試練を乗り越えて喜びや幸福に変えていくことが大切だと思います。
人が生きていく上で何を縁とするのか、何を糧にしていくのかといった時、それは先人の思いだと捉えています。先人の思いを受け止めることができる人は幸せですし、その先人の思いをさらに高めていくことが恩返しではないでしょうか
******************************************************************************************
「禍福は糾える縄の如し」を辞書で調べた。禍福とは不運と幸運をいう。災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものだ。不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする。成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものだということのたとえ、とあった。
やはり、幸福ばかり来てほしいが、そうはいかない。どうやら、幸不幸は表裏一体ということであるので、同じ大きさ、同じ量があるということになる。だから、不幸がきても、嘆きたくなるが気持ちを切り替え、必ずいい時がくると信じていこう。
自分にとって都合の悪いことを、嘆いていても何も変わらない。「これも自分が至らないから起きていることなのだ!」と自責で考えて活路を見出していかなければ進歩がない。と自分に言い聞かせているが、辛い時は辛いものです。
「いい時も悪い時もご先祖様のお導きなんだ。だから、ご先祖様に恥じない生き方をしていこう!」と気持ちを切り替えていこうと思います。