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人生の集大成 戦後の復興へ

2016年08月10日

2016年8月10日(水) 693/1000

<人生の集大成 戦後の復興へ>

 

皆さんおはようございます。

 

過日、浜松西倫理法人会のモーニングセミナーで父が講師をしました。

株式会社アイデックス 取締役会長 鈴木喜徳氏 その4

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 終戦後、昭和21年2月、日本経済は破綻しました。国がつぶれたわけです。新円が発行され国民一人が使うお金も制限されました。これを新円切替といいます。

 日本国はこの年の2月16日夕刻、突如として預金封鎖と新円切替を実施しました。この日に突然、政府がすべての銀行を封鎖し、個人法人問わず預金引き出し の制限を掛けました。これが預金封鎖です。さらに今までの旧紙幣の使用を禁止され、旧紙幣に印紙を貼った新円だけが使用を許されることになります。これが 新円切替です。旧紙幣の預金は完全に封鎖され、新円のみを世帯主が300円、家族が100円しか出金することができませんでした。これにより、いくら旧紙幣で預金してようがその資産はほぼゼロになり、政府がコントロールした額のお金しか手にすることができなくなったのです。

 知っ ての通り、戦後の日本はあらゆるものが破壊され尽くして、物資が不足し悪性インフレが生じていました。しかし政府自体も戦争で積み重なった天文学的な借 金、(現在の価値に換算すると630兆円)があるために予算が取れません。そこで国民の財産を没収することで両方を解決しようとしたのです。簡単に言え ば、国民から借りたお金を踏み倒したわけです。2016年、日本は政府の借金が1300兆円、1秒に200万円の金利を払っております。国民の積み立て預 金は、1500兆円です。日本経済が破綻するようなことになったら大変です。今のところ大丈夫だと思いますが、いつ経済が破綻するかわかりません。いつか 痛みを背負うことになると思います。

 昔のように無駄使いをしないで節約をし、日本を立ち上げなければなりません。食糧の輸入のうち半分は廃棄処分されているようです。戦後ゼロから世界一の経済大国になったのだから、国民の底力はあります。だから、皆さん共に頑張りましょう。

 

  戦後は平和な日々を送っていますが、国民は食糧難で苦しみました。私の家は農家ですから食べる物はあります。田舎の人は食糧には困りませんが、街に住む人 は、物は持っていても食料はありません。配給のお米だけでは足りないので、物々交換で着物と食糧を何度も何度も交換していました。このことを竹の子生活と 言います。持っているものは全てお米や野菜などの食糧と交換しました。また、“買い出し”と言って食糧のある所に行き、物々交換をして一家を養っていまし た。お金も物もない人は、山で山菜を採ったり、食べられるものは全て食べ、自給自足の生活でした。また、欲しいものは闇市に行けば、お金を出せば何でも手 に入りました。東京にあるアメヨコは闇市の前身です。

 

  日本全土が焼き尽くされ戦後の復興です。家がない人が大勢いて、浜松市は市で建てたバラックの市営住宅が次々でき、抽選で入居する人が決まっていきまし た。また、浜松市は農家から農地を買い上げ、市営住宅を次々に建設していきました。農家はお金がないので生活のためには農地を坪3千円で手離すしかありま せんでした。私の家の近くには昭和23年に鷺ノ宮団地(現:東区大瀬町)が建設されました。

 産業も盛んになり自転車にエンジンを積んだ乗り物ができて、それを「ポンポン」と呼びました。これは本田宗一郎が考案したものです。

 

二 輪車製造工場が10社くらいできオートバイブームが起きました。一方、遠州織物で綿布の産地になり、織機をつくる会社もできました。遠州織物という綿布の 産地として多くの織屋さんができました。その織屋さんをガチャマンといいました。(がちゃんと織ると万の金が入るという意味)そのような時代となり、遠州 地方は景気のよい時代に入りました。綿布の輸出から始まり東南アジア方面に織機の輸出も始まりました。オートバイ生産工場も合併して工場の数が減り、ホン ダ、ヤマハ、スズキの3社になりました。オートバイも下火になり、四輪車に切り替わりました。ホンダ、スズキ、トヨタ、日産、三菱、マツダ、ダイハツなど 世界的企業が生まれ、日本車は安いのでアメリカなどに輸出して利益を上げていました。日本車は性能がいいということで、世界市場でよく売れていました。こ の遠州地方の工場では、ほとんど自動車部品の製造に関わっていました。現在も同じです。

 

 明日につづく

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