2016年8月8日(月) 691/1000
<人生の集大成 戦争一色>
皆さんおはようございます。
過日、浜松西倫理法人会のモーニングセミナーで父が講師をしました。
株式会社アイデックス 取締役会長 鈴木喜徳氏 その2
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日本は四方が海で、常に戦時体制をとっていたので海軍が特に強かったのです。ロシアとの戦いで当時世界最強と言われたバルチック艦隊を相手に日本海海戦で日本は勝利しました。その時の連合艦隊司令長官は東郷平八郎元帥でした。日本は徴兵制がひかれており、男子が20歳になると徴兵検査があり、軍隊教育を必ず受けなければなりません。当時の青年は20歳の徴兵検査を受けることを誇りに思っていました。
12歳の私から見ると、「大きい立派な人だなぁ!」と思いました。僕も早く、大人になって徴兵検査を受けたいと思いました。
大東亜戦争が昭和16年12月8日に日本軍の真珠湾攻撃で始まり、日本軍は次々に南方へ進出し勝利をしていました。
戦争には兵器が必要です。日本は資源のない国なので国内にある資源を使わなければなりません。各家庭にある金属類を再利用するべく半強制的に集められたのです。お寺の釣鐘は、まっさきに拠出させられました。
国民はこの戦争は必ず勝つと信じていました。昔、中国が攻めてきても、またロシアとの戦いでも勝ってきたからです。国民は神風が味方してくれるから必ず勝つと誰もが心から信じきっていました。
国の政策には絶対服従です。国の中にある資源は全て戦争のために使ったのです。金属類は軍艦、飛行機、鉄砲、鉄砲の玉に、繊維は軍服に。全て軍備に使いました。一方、国民はみな兵隊になり国民皆兵です。
男は戦地、女は銃後の守り。竹槍(たけやり)を持って、敵と戦うために訓練しました。また、防火訓練ではバケツリレーによる消火活動をしました。頭には防空頭巾をかぶり、大日本帝国婦人会と書いた襷(たすき)を掛け、勇ましい姿で日本を守るために厳しい訓練をしました。まさに日本は一億総出動で戦争一色でした。
南方の島々は、日本が占領し勝ち戦をしておりましたが、大国アメリカの前に、だんだんと日本も攻められ戦況が悪くなってきました。サイパン、ラバウル、硫黄島、沖縄に戦場がうつり、海では軍艦が次々と沈められ、陸軍も後退せざるおえなくなりました。
明日につづく。。。