2016年8月7日(日) 690/1000
<人生の集大成 ご先祖様>
皆さんおはようございます。
過日、浜松西倫理法人会のモーニングセミナーで父が講師をしました。
株式会社アイデックス 取締役会長 鈴木喜徳氏 その1
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本日はこのような場でお話ができる機会をいただきまして有難うございます。
もう年老いた私が、出る幕はないと思いますが、息子の会長より本日の講師の依頼があり、親を思う子の心として有難く受け止め、恥を忍んでお話をさせていただきます。 講師といっても、皆さんにとって良い話ができるはずもありませんが、私の人生経験の中からお話をさせて頂きたいと思います。
いろいろな講師のお話を聞くと、その時は感動します。先日、浜松西倫理法人会の設立5周年記念式典に於いて三浦先生の講和は、とても感動いたしました。でも一晩寝ると殆ど忘れてしまいましたが、ウサギとカメの話だけは覚えています。今日の私の話も一晩寝れば忘れてしまいますので、気楽に聞いてください。
講師として受けたものの何を話せばよいか、と思いましたが、咄嗟に人生の集大成をいうタイトルで話をすると言いましたが、8月15日が終戦の日です。その事を思い出しました。話は皆さんの知らない戦争当時のことを話すことで、二度と戦争が起きることのないように願っているのです。
ここで少し家族について話をします。私の家は大正2年に祖父、孫太郎が新築いたしました。103年経っています。私はここで生まれ育ちました。見てのとおり古い家ですが、父も妻も家の手入れをよくしました。父は障子からガラスに変えたり、よく建具屋さんが来ておりました。妻もお金をかけないでペンキを塗ったり、生垣や植木を手入れしておりました。そのため103年ももったのです。祖母はサトといいます。顔は見たことがありません。
私の父である鈴木陸平は近衛兵で、皇居のお堀にある千鳥ヶ淵の近衛歩兵第一連隊に入隊しました。大正天皇をお守りする儀伏兵(ぎじょうへい)です。
大正天皇が日光田母沢御用邸に行幸の折、護衛として同行しました。その後、近衛歩兵として教育訓練を受け除隊の折、天皇陛下より賜杯をいただきました。この賜杯は100年経ちました。父は軍隊で鍛えられたので非常に厳しい人でしたが、心のある人です。
父は軍隊で鍛えられたので非常に厳しい人でしたが、心のある人です。
母のたつゐは、現在の笠井新田町の大木家から嫁いできました。母の父は、俳句で有名な松島十湖翁の一番弟子で大木随処(本名:大木久一郎)です。笠井町の町会議員であり笠井町収入役をしていました。
母方の祖母は、現在の浜松市東区石田町で生まれ神谷キトといいます。鈴木家は織屋を家業としており、女工さんを何人も使っていました。今は自動織機ですが、大正時代はチャンカラといって、手動の織り機でした。女工さん一人に一台、手と足を使って布を織っていました。
ここまでが鈴木家の先祖の話です。
明日につづく。。。