2016年8月2日(火) 685/1000
<命の保証書>
皆さんおはようございます。
「なんのために働くのか」(致知出版社)より抜粋 その22
著者:北尾吉孝氏
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仕事即ち修行という考えを推し進めていくと、「天命を知る」ということに結びつきます。 修行なんて嫌だ、天命なんか関係ない、この世に神なんかいない、と言っている人たちはかわいそうです。人間の一生なんてはかないものです。ある日、気がつけば、もう明日には棺桶に入らなくてはいけない。目的もなくただ遊び暮らしていれば、「あぁもったいない人生だった」と悔いばかりが残ります。しかし、そのときに後悔しても遅いのです。
「死生命あり」であるからこそ、いつ死を迎えようとも、「これも天命だ、天の配剤だ」と納得するためには、一日一日を無駄にしないで生きなければいけないのだと思います。一日一日が勝負なのです。
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地球上のどの国に生まれてもおかしくないが、日本という国で今の両親の元に生まれた。そして、今の仕事をしている。どんな人も同じである。これを、単たる偶然と考えてしまうならば、あまりにも浅はかなことではないだろうか。
苦しいことや辛いことはあるかも知れないが、今の自分のおかれた環境というのは、自分という人間を高めていくために導かれたものであり、それによって課せられた目的を全うするために存在している。このように考えた方が、自分という尊い命を大切にし、苦しいことがあったとしても、踏ん張って前に進んでいけるのではないだろうか。
人は「死」を考えることは少ない。いや、考えたくないと言ってもいい。しかし、命はいつか尽きる。もしかすると、明日余命を宣告されるとも限らない。交通事故で死んでしまうかもしれない。このように考えると「命」というのは、保証書はない。
したがって、未来を憂い不安を抱くより、今を大切に生きることが如何に大切であるかが見えてくるのです。しかし、現実に生きることは並大抵ではありません。せめて一日の終わりには、「今日は一生懸命に生きることが出来たか?」と振り返り、反省をしたいと考えるのです。