2016年7月31日(日) 683/1000
<時間を惜しむ>
皆さんおはようございます。
「なんのために働くのか」(致知出版社)より抜粋 その20
著者:北尾吉孝氏
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若いときは死を意識することがないから、自分の死が後ろに迫っているのがわからない。だから時間を無駄に過ごしてしまうのです。
たとえば、大学生が勉強もせずに一日マージャンに明け暮れているような姿を見ると、なんと馬鹿げたことか、もったいないと思います。あるいは、ゴルフというのも半日仕事です。私は野村の事業法人部にいたとき、仕事上の付き合いで、土曜日曜のたびにゴルフに行かなければなりませんでした。ソフトバンクに入って、ようやくそれから解放されたとき、ああ、ずいぶんと時間を無駄にしたと思ったものです。
厳密に言えば、健康にも多少はプラスになっていたかもしれないし、一緒にゴルフをした方々から多々教えてもらうことがありました。その点では全く無駄ではなかったのですが、もっとほかに有効な時間の使い方があったのではないか、というのが正直な気持ちでした。
道元は「親が死に瀕していても行くな、親の葬式にも行くな、お前のやることは道を究めることだけだ」と厳しい言葉を残しています。それだけ時間というものを惜しまなくてはならないということなのでしょう。
たまに友達たちと楽しい時間を過ごすのはいいでしょうが、基本的には「時間を惜しむ」という気持ちを持たなくてはいけない。特に50歳を過ぎたら、そういう気持ちを強く持たなければいけないと私は思っています。
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たくさんの時間を無駄にしてきた。今、この瞬間も時間が刻まれている。つまり、この瞬間も「死」に向かって進んでいるのである。つまり、「生きる」ということは時間を使うことである。生きるということは、時間を使い目的に向かっていくこととも言える。だから、正しい時間の使い方をしていく努力をしていかなければ、時間の無駄使いということになってしまう。これは、生きることを無駄にしていることと同じであると考えるのです。マージャンにパチンコ、このように考えると、随分と無駄な時間を使ってしまった。生きるということは、単に息をして生きるということではなく、人生のゴールという目的に向かうために時間を使い歩んでいくわけです。つまり、生きる目的を見出し、その達成のために時間を使うのです。そうでなければ、時間だけが無駄に浪費され命の無駄遣いとなり、気がつけば天からお迎えの時となるのである。その時、時間の無駄使いをしたことに気づいても遅いのです。
倫理法人会のモーニングセミナーをきっかけにして、朝の大切さを実感し早寝早起きの習慣づけをしてきた。50歳を過ぎて後悔をすることは、随分と無駄な時間を過ごしてきたことである。この先は、そうではなく、時間を惜しみ、時間を大切にしたいと誓います。