2016年7月21日(木) 673/1000
<判断基準>
皆さんおはようございます。
「なんのために働くのか」(致知出版社)より抜粋 その11
著者:北尾吉孝氏
******************************************************************************************
私は論語の影響もあって、比較的早いときから自らの価値基準として「信・義・仁」という三つに言葉を置くようになりました。以来、この三つを判断の物差しにしています。
「信」というのは言うまでもありませんが、約束を破らないことです。「これをやると人の信頼、社会の信頼を裏切ることにならないだろうか」と常に考えてなくてはいけません。
「義」は、正しいことを行うこと。よく自分の行為が社会的問題になると「会社のためにやった」と弁解する人がいます。しかし、その人は本当に会社のためにやったのではなく、すべて自分のためにやっているのです。上役によく思われたいと考えてやっているのです。 それは義に反する行為です。事を行うに当たっては、絶えず「これをやることは正しいか正しくないか。法律上は罪がないとしても、自らの良心に照らして正しいか正しくないか」という見方をしなければなりません。
「仁」は、思いやりの精神です。これは「相手の立場になって物事を考えているかどうか。自分の私利私欲が前面に出てはいないか」を確かめるための基準になります。
このように三つの基準に基づいて判断するということを、常日頃から心がけるようになりました。それによって、自分の主義主張がいつも一貫している、つまり軸がぶれなくなりました。
******************************************************************************************
経営者の判断は常に会社の運命を左右すると言っても過言ではありません。だから、自分の判断基準を持たなければ、場当たり的になり部下は迷ってしまいます。
「会社は何のために存在しているのか」、「会社の目的は何か」という崇高な理念がなければ、すぐにブレてしまいます。
自分の行動が経営理念と合致しているか、また、自分の信念に基づいているかどうか、を常に意識的に確認していかなければ、あっという間にブレてしまいます。人間はそれほど弱い生き物であり、自分も弱いという自覚も必要だと思うのです。
しかし、自分の信念が正しい信念でなければ、誤った方向に進んでしまいます。だから、勉強がいるわけです。それは経営者だけではなく、どんな人でも同じことが言えると考えるのです。
いまだ、薄っぺらな信念ですが、この先、学びを深め信念に厚みを持たせていきたいと思います。