2017年5月20日(土) 976/1000
<笑顔は生きる源>
皆さん、おはようございます。
「ごえんの法則」 だいわ文庫 より抜粋 その6 最終回
著者:小林正観氏
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お釈迦様は弟子のひとりである従弟アーナンダと、30年間ほどの悟りの旅をしました。アーナンダはいわゆる鞄持ちで、ふたりの歳の差は30歳だったそうです。ある夜、アーナンダはお釈迦様にこう問います。
「お師匠様、今日歩いている時にふと思ったのですが、よき友を得るというのは、聖なる道の半ばまで来たと理解してもよいのでしょうか」
聖なる道とは、悩み、苦しみ、煩悩がなく、いつも幸せで楽しくして執着しない状態を意味します。
「アーナンダよ、よき友を得るということは、聖なる道の半ばを手に入れたというのではない」
答えを聞いたアーナンダは、
「自分はまたトンチンカンな質問をしてしまった」とうなだれてしまいました。アーナンダはいつもお門違(かどちが)いな質問をして、お釈迦様に説教をされるのが日常だったのです。
少し間を空けて、お釈迦様はゆっくりと噛みしめるように言いました。
「アーナンダよ、よき友を得るということは、聖なる道の半ばなのではなく、聖なる道のすべてを手に入れることである。よき友を得ることは、灯し火を頼りに夜の暗い道を歩くようなものだ。よき友は、暗い道の灯し火になってくれる。自分の人生が見えなくなった時に、そこに指針を示してくれる。友は道を明るく照らしながら一緒に歩いてくれるものである。よき友を得るということはそういうことだ」
人はひとりで生きていると「ヒト」ですが、人は人の間に生きて初めて「人間」になります。集いに帰依することで、よき友を得ることができる。つまり、お釈迦様は、「よき友と集まる」、「よき友の教えに従う」サークルづくりを目指したのです。そこには絶対君主は存在せず、お互いがその輪の中で温かな「丸い」協調関係にある。それこそが、お釈迦様が目指した理想の「サークル」「集い」=「園」なのです。
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社長になって7年になりますが、社長として何をしてよいかわからない時に、何度も友達に教えてもらい助けられました。友とはかけがえのない存在なのです。
人はひとりでは生きていけません。お金がたくさんあっても孤独であったり、命を落とすようでは、人生がなんのためにあるかわかりません。人は人と関わってこそ、喜びが得られ、生きる希望が生まれると思いたいわけです。
一番身近なもので言えば、まずは家庭です。夫婦、親子が仲良いということが、一番の心の支えです。
その次に会社です。会社を辞める一番の理由は人間関係ですから、その人間関係をよいものにしていくことが社長の務めであると思うのです。
会社でよい人間関係をつくっていくためにはどのようにすればよいか、いつも悩みながら考えています。別段、このままでよいと思えばそれまでなんですが、それでは働く人が真の幸せや働きがいを得られないと思うのです。なぜなら、一日24時間のうち、多くの時間を仕事に使うわけですから、その仕事が楽しくなければ、これは不幸であると考えているからです。
人が集まる場をつくり、その場に会話が生まれ、お互いの心を通わせること。そのような場が失われつつあります。会社は単にお金を稼ぐための道具であるとすれば、これほど虚しいものはないのではないでしょうか。
仕事は辛く厳しいこともあるけれど、自分の仕事がお客様に喜ばれ、働く仲間に喜ばれることを実感することができれば、働きがい、生きがいになっていくと考えたいのです。
多くの社員に、仕事を通じて「笑顔」になってもらいたいです。「笑顔」は生きる源泉です。