2016年7月19日(火) 671/1000
<自己を知る>
皆さんおはようございます。
「なんのために働くのか」(致知出版社)より抜粋 その9
著者:北尾吉孝氏
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老子の中には「人を知る者は智、自ずから知るものは明」とあります。これは「人を知る者は知者に過ぎない、自分を知ることが最大の明なのだ」ということですが、確かにそう思います。
自分自身というのは、わかっているようでなかなかわからないものです。ゆえに、人類に共通するテーマになるのです。ソクラテスも「汝(なんじ)、自らを知れ」と言っていますし、ゲーテも「人生は自分探しの旅だ」と言っているように、非常に難しいことだと改めて私も思っています。
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相手から注意や指摘を受けた時、「はっ!」と気づく時があります。
「なんて、自分勝手なことをしているんだね!」
「あなたは言葉の使い方を気をつけた方がいいですよ!」
「もっと、動きなさい!」っていう具合である。
自分は人に思いやりをもっている、正しいことをやっている、というつもりになっているに過ぎないのではないだろうか。その本性は、自分自身のためだけではないだろうか。という具合に自己と向き合わなければならないと思うようになりました。どうしても自分を後付けでも正当化しようとして本当の自分が見えてこないわけです。
相手の悪い所、嫌な所は極めてよく見えます。しかし、自分の心は見えない。だからこそ、まずは、自分の心を素直になって見ることが大切だと思えているのです。その時、醜い自分を受け入れ、自分にも悪い所、嫌な所があるという自覚、つまり、相手にも自分にも、そのような所がたくさんあるということです。相手ばかりが醜いだけでなく、自分も同じであるのです。そして、それを認めることができれば、それと同じくらい、素晴らしい所、美しい所が見えてきて、相手も自分も認めることができるのではないだろうか。
いずれにしても、「自己を知る」ことは、辛いことでもありますが、少しでも分かることができれば、生き方も変わるような気がしています。しかし簡単ではないようです。