2017年5月18日(木) 974/1000
<通夜で思ったこと>
皆さん、おはようございます。
「ごえんの法則」 だいわ文庫 より抜粋 その4
著者:小林正観氏
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あなたがお茶を淹(い)れて飲むとします。自分の意志で100パーセント飲んでいると思うかもしれませんが、あなたがお茶の葉っぱを育てたわけではありません。お茶を淹れるためには容器が必要です。しかし、その容器も、自分で土を捏(こ)ねてつくったわけではないのです。
仮に自分で容器をつくったという人がいたとしても、その原料になる粘土まで自分でつくったという人はいません。粘土ができ上がるには年百年とかかるのです。
その意味では「自分の意思でお茶を飲んでいる」というのは傲慢なのです。あなただけの力では決して飲んでいません。
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先般、父の通夜の時の出来事です。葬儀場で一晩宿泊したのですが、一息ついた午後11時頃でしたでしょうか。祭壇の前で一人で座っていたところ、ガタガタって音がするんです。僕は、ビビッて音の方向に視線を向けたんですが、音のわけがよくわかりません。しばらくすると、またガタガタってするもんですから、いよいよ父が「出でたか!」と思ったら、そこから人がでてくるもんだから、腰が抜けましたよ。よく見ると、明日の葬儀の音響をセットしている業者の方でした。僕は、「お疲れ様です。ありがとうございます。」と言いました。
それで、僕は思ったんです。この葬儀は多くの方々のおかげ様であるということ。
・生花を運んできてくれる方々
・祭壇をつくってくれる方々
・食事を準備してくれる方々
・音響をやってくれる方々
・霊柩車の運転手さん
・斎場の運営してくれるスタッフの皆さん
・弔電を作ってくださる方々
・弔問に来てくださる方々
・受付のお手伝いしてくれる隣保の人、社員さんなどなど、数え上げればきりがなさそうです。
もっと広く考えれば、生花の花を栽培してくれている花農家さんまでいると思ったんです。
葬儀という日に関わってくれている人は、1万人を超えるんじゃないかと思えるんです。お金を払っているから当たり前じゃん、というのではなく、僕は有り難いことだと思えたんです。
人はひとりでは生きていけません。多くの人に支えられて生かされているんだ、ということを実感しました。だから、自分という「命」を何に使うかということを、真剣に考えようと思ったんです。
通夜の夜にビビりましたが、音響のセットをしている業者さんの仕事振りを見て思ったことでした。関わってくださった皆様、本当に有難うございました。