2016年6月17日(金) 639/1000
<徳>
皆さんおはようございます。
致知7月号(致知出版社)
内村鑑三『代表的日本人』 読書を通じて自分にとっての「解」を探し求める
グロービス経営大学院学長 堀 義人氏
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「人はだれでも悪名を嫌い、名声を好む。小善が積もらなければ名はあらわれないが、小人は小善のことを考えない。だが君子は、日々自分に訪れる小善をゆるがせにしない。大善も出会えば行う。だた求めようとしない。大善は少なく小善は多い。
大善は名声をもたらすが小善は徳をもたらす。世の人は、名を好むために大善を求める。しかしながら名のためになされるならば、いかなる大善も小さくなる。君子は多くの小善から徳をもたらす。実に徳にまさる善事はない。徳はあらゆる大善の源である」
これは中江藤樹の言葉です。この言葉と出逢い、初めて徳とは何かということが理解できました。大きな善行は人に認めてもらいたいからする卑しいもの。誰も見ていないところで小さな善行を積み重ねていくことが大切なのであり、それ以前の問題として、善い心を持つことが徳をもらたす。これは大きな気づきでした。
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いきなり余談ですが、家族で夕食の時の会話である。
女房:「お父さんは、今はこうだけど、27年前はひどい人で、私が27年かけて治したのよ」
子供:「へぇ~!」
という苦笑いの会話なのでした。
今年で53歳になります。50歳で「天命を知る」なんて年齢ですが、今、生まれたばかりで、これからもっと勉強しなければと思うのです。
やはり社長の「徳」によって、その会社が決まるとよく聞きます。とは言っても「徳」って目に見えませんので、実は「徳」と言っても、分かるようでよく分かっていません。
ただ、よい事、悪い事は分かります。悪い事をやらないのは当たり前ですが、よい事をやるのは出来そうでできないものです。それも小さなよい事であればなおさらです。
小さなよい事は、誰も認めてくれません。その時、「よい事をやっているんだ!」という意識の中で行動しているようでは、よい事が卑しくなってきます。なにげなく、さりげなく、自分の素直な心で、嫌味なく、自然体で行いたいものです。
その行動が自分の心を浄化し、成長させ、物にも人にも思いやりの行動となって、「徳」というものが積みあがっていくのでしょうか。
「徳」は幸せをもたらしてくれるように思うのです。なぜなら、「徳」のある人には、多くの人が吸い寄せられるように集まっているからです。
浜松西倫理法人会の渡辺相談役のような方は、大きな徳があるように思います。私の目標の方です。