2016年6月15日(水) 637/1000
<吐く息は感謝>
皆さんおはようございます。
致知7月号(致知出版社)
特集「腹中書(ふくちゅうしょ)あり」より抜粋
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A子さんは若い身でがんになった。辛い闘病生活。その中で、病気を治すには体の治療だけでなく心も治さなければ、と思い立つ。そして手にした「致知」。中でも横田管長の連載に惹(ひ)きつけられた。
「坐禅の要領は、ほんの一時でも過ぎたことは気にしない、これから起こることも気にしない、この二つ」
ともすれば手術で失った体の一部を思い煩(わずら)い、これからの不安にとらわれがちなA子さん。そんな時、横田管長のこの簡潔な言葉に出逢い、いま現在をしっかり生きよう、こうして生きていることに感謝しよう、と思い直すことができたという。
「自分はお坊様のようなお寺で修行はできないが、病気とともに日常生活の中で生きていることに感謝、生かされている感謝を学ぶために自分なりの修行をしたい」という手紙をA子さんは書き送ってきた。 横田管長は「いま置かれている状況の中で、日常の生活の中で、感謝をもって生きることこそが最大の修行です」と返事した。
以来、手紙のやりとりのが何度かあった。その中で、A子さんの容体が優(すぐ)れず実家に戻ったこと、まだ幼い子供がいることなどを横田管長は知ったという。そして、このように書かれた手紙がきた。
「この病を得なければ、私は心や人間、自分を高めようと読書や勉強をすることはなかったでしょう。悪いと思われても、そのかげによいことも隠されているのです。
この間、教会の前を通りかかったら、『天の父よ、どんな不幸を吸っても吐く息は感謝でありますように』という看板を見つけ、心に刻みました。病気でも苦しくても、いま私は生きています。それがすべての答えだと思います。」
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朝、目が覚めた。いま息をしている、生きている。ということは当たり前の日常であるが、なんの不思議も感じない。日常生活を営む上で最もかけがえのない「命」に感謝を忘れてしまった。これでは、今を感じるどころではない。過去を憂い、未来に不安を抱き、尚且つ、今さえもないがしろにしている。
人間という体は上手くできている。口から食物を入れ栄養分を吸収し排泄する。けがをすれば修復してくれる。そして脳には思考という力が備わっている。人間というものを誰が創ったかわからないが、奇跡の生命体と言える。そんな奇跡の体をまとい、命という時間をもらったかぎりは、その時間を思う存分に使い切らなければもったいないではないか。と言いながら、無駄な時間を使っている自分に反省。。。
家庭や仕事において不平不満を言わず、感謝の気持ちをもって行動していくことが大事で、それが自分を何に役立たせるかという考えに向かっていくのではないだろうか。その根底にあるのは、やはり「感謝の心」なのでしょう。
いつでも嫌なことはたくさんあります。でもそれ以上によい事もあるはずです。悪い出来事ばかりに振り回されず、感謝を行動にしていくように心がけていけば、毎日がきっとよくなってくると信じたいのです。
『どんな不幸を吸っても吐く息は感謝』、これが最大の私の課題です。