2016年5月14日(土) 604/1000
<本当の自分を知る>
皆さんおはようございます。
子どもの心に灯をともす 日本の偉人も物語」(致知出版社)より引用 その8
著者:白駒妃登美氏
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「人は誰でも天から与えられた美しい心をもっている」ということに尽きるでしょう。
美しい心は、相手の美しい心を呼び覚まします。この天から与えられた美しい心を「良知」と呼びました。
良知を磨けば、「真善美」がわかるようになります。つまり、良知を磨けば、本物とにせ物の区別がつき、どういう生き方が美しく、逆にどういう生き方が恥ずかしいのかがわかり、善悪を判断する力がつくようになるのです、 良知を磨き、良知に従って生きることが、正しい行いに繋がります。正しい行いとは、世のため、人のためになる行いであり、そういう生き方を実現することで、自分の人生も穏やかで安らかな、幸せなものになっていくのです。
つまり、「人の幸せ」と「自分の幸せ」は、まるでコインの裏表のようになっていて、世のため、人のためになる正しい行いをすることが、自分の幸せに繋がるんですね。
けれども実際は、人は自分の欲望によって、良知を曇らせてしまっています。ですから、良知に至るには、自分の心を絶えず磨き続け、鏡のように輝かせておく努力が必要です。そのためには、日常、5つのことを心がければいいといいます。
なごやかな顔つき、思いやりのある言葉で話しかけ、澄んだ目で物事を見つめ、耳を傾けて人の話を聞き、まごころをもって相手を思うこと。
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「なごやかな顔つき、思いやりのある言葉で話しかけ、澄んだ目で物事を見つめ、耳を傾けて人の話を聞き、まごころをもって相手を思うこと」が良知を磨くことための行動であるとのことですが、まるで真逆なような時が多いように思えて、いつも生意気なことを言っている自分を振り返ると恥ずかしくなります。
良知を辞書で調べると「生まれながらにもっている、是非・善悪を誤らない正しい知恵」とあります。相手の行動の善悪はすぐにでも分かり批判できますが、自分の行動ともなるとどうであろうか。それがもし客観的に悪いような方向であるとしたら、自分に言い訳をし、また無理やりに正当化して「善」としてはいないだろうかと思えたりもします。いや、そういう時が多いのではないだろうか。誰しも自分を悪者にしたくない深層心理が働きます。
「良知」に従い正しい行いを実践することは、簡単そうで簡単ではなさそうである。
自分ほどわからない人間はいない。自分を正しくコントロールすることは容易くないとつくづく感じつ時があります。
だからこそ、日々の日常生活においての行動が大切であると思えてきました。お寺の修行僧が毎日、決められた時間にきれいな庭を掃き掃除をするように、同じことの繰り返しの中で、美しい自分や醜い自分という、本当の自分を知ることで「良知」の領域に近づいていけるのではないだろうか。