2016年4月29日(金) 590/1000
<なれる最高の自分になる>
皆さんおはようございます。
致知5月号(致知出版社)より引用
「何がしたいのか、どうありたいのか。自らの思いに忠実に生きる」
映画監督 紀里和明氏
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いまの世の中では、アメリカの成功主義がもてはやされ、何らかの結果を出していくことに重きが置かれています。多くの若い人たちは「成功者になりたい」と声高に叫ぶ。
では、そもそも「成功」とはどういう意味なのでしょうか。大きな豪邸に住む?
年収一千万以上? 高級車を乗り回す? 会社の社長? 権力を持っている?
いろいろと出てくるでしょう。
しかし、それが本当にあなた自身の求めている成功なのか。そういう人たちが世界の中でチヤホヤされているがゆえに、あるいは両親が喜ぶから、友達が見上げてくれるからという理由で、それをただなぞっているだけではないだろうか。
それは多分に第三者が決めた一定の価値観ではないのか。逆を言えばお金や立場、名声を得ていない人は落伍者なのか、幸せではないのか。ぜひ胸に手を当てて考えていただきたいと思っています。
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人それぞれの能力には差がある。得手不得手がある。これは生まれつきであるからどうにもならない。しかし、「なれる最高の自分になる」ことはできる。自分の持てる力を最大限に出し切ることが重要であると師匠から教わった。
世間でいう成功者というのは、地位や名誉、お金持ちという風に見えます。しかし成功を手にした人が、なぜか奈落の底へ落ちていく多くの人がいます。それだけ、地位や名誉、お金は人間の傲慢さを表面化させ狂わせてしまいます。まさに魔物です。
私たちの人生の目的は、成功者になることではないと思うのです。自分のやってきたことが世間に評価され、結果として成功者になっている。というものではないだろうか。成功すれば幸せになれるというものでもないようです。
それでは「幸せ」とはいったいなんでしょうか。これは一人ひとり価値観は違うでしょう。「お金持ちになる」という価値観が幸せと定義すれば、お金を失った時に幸せではなくなるということになります。権力も同様です。
「私はこれをやりたい、目指したい」と心から叫びたくなるような目的に気づき、それに向かって「なれる最高の自分」を目指していく。そのプロセスは幸せと言えるものではないだろうか。
たとえ目的が達成することはできなくても、目的に向かう途中であの世に行きたいものです。