2016年4月24日(日) 585/1000
<ムヒカ大統領が問う その1>
皆さんおはようございます。
ムヒカ氏は前ウルグアイの第40代大統領。
愛称はエル・ペペで、ムヒカ氏は給与の大部分を財団に寄付し、月1000ドル強で生活しており、その質素な暮らしから「世界で最も貧しい大統領」としても知られている。
そのムヒカ氏のリオ会議(国連持続可能な開発会議)での演説に考えさせられた。
ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ: (訳:打村明)
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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。
ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。
私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。
私たちの本音は何なのでしょうか?
現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?
質問をさせてください。ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。
息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億~80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか? それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。
私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?
あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?
このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
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安倍総理大臣が掲げるGDP600兆円は、まさに大量消費がなくては存在しません。資本主義社会は、言い換えれば「お金」の社会です。経済を発展させるということは、生産と消費の規模を拡大することです。物で満ち足りているこの国をさらに物で溢れさせようとしているわけです。
その経済発展は競争社会であり、言い方を変えると勝負という過酷な世界で、勝者と敗者がいるわけです。では敗者はどうなるのでしょうか。
24時間で生産と消費の拡大を繰り返し、身も心も疲弊し思考が停止してしまっている。GDP600兆円で幸せになれるのでしょうか。「幸せ」とは、いったいなんでしょうか。
経済が発展していくことは、決して悪いことではないと思いますが、そろそろ限界にきているようです。