2017年5月11日(木) 967/1000
<心の許容量・寛容度>
皆さん、おはようございます。
「みんなが味方になる すごい秘密」 KADOKAWA その3
著者:小林正観氏
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私は宗教家ではありません。ガチガチの唯物論者です。その唯物論者が行き着いた結論というのは、ストレスを与える人とかストレスを与えるものは、実はこの宇宙には存在しないということです。自分が勝手にストレスを感じているだけなのです。
ストレスを与える人や現象を「ストレッサー」といいますが、ストレッサー度5の人が世の中にいるとして、自分の許容量・寛容度が4なら、この人をストレスに思います。もし自分の許容量・寛容度が10だったら、ストレッサー5というのはまったく問題にはならないので、その人に対してストレスを感じないのです。
次にストレッサー度15の人が現れたとして、自分の許容量・寛容度が5だったら、その人に痛みを感じたり、ストレスを感じたりするのです。そのときに自分の許容量・寛容度が20になっていたら、ストレッサー度15の人はなんでもなく通り過ぎることができます。自分はストレスを感じません。
人の10倍のストレッサー度を持っている人が、およそ10年に一人ぐらい現れます。ストレッサー度50を持っている人が現れたとする。そのときに自分の許容量・寛容度が100になっていたら、ストレッサー度50の人にストレスは感じません。
ということは、どんなストレッサー度を持った人がいつ現れるかはわかりませんが、日常生活にずっと自分の許容量・寛容度を上げておけば、問題が解決するということです。
それでは自分の許容量・寛容度を上げるためにはどうすればいいのか。それは暇なときに訓練しておけばいいのです。こう言うと、「暇なときに坐禅や瞑想に行けばいいのですか」と質問されることがありますが、それは違います。
どこに訓練の場があるのかと言えば、日常生活が訓練の場なのです。24時間365日、それが自分の許容量・寛容度を上げるための場所なのです。
許容量・寛容度を上げるために座禅瞑想をしている人が世の中にはいます。座禅瞑想をしている人で私に質問してきた人がいました。
「正観さんは座禅瞑想をやらないのですか」
私はいまだかつて座禅瞑想をやったことがありません。その質問をしてきた人は70歳くらいの社長さんでしたけれど、その人に「あなたは週に2回、2時間ずつくらい座禅瞑想に行っているのですか」と言いましたら、まさにそのとおりだと驚いていました。
「週に4時間、座禅瞑想に行ってそれで心を穏やかにしているのですね」
「そうです」
「そのまま会社に帰って社員さんを怒鳴りまくっていませんか」と聞きましたら、まったくそのとおりですと。それではなんのために座禅瞑想をしているのか、わかりません。なんの音もしない、心穏やかに過ごせる空間に身を置き2時間、3時間じっとしていることは誰にでもできます。心穏やかにできる条件のもとでイライラしないことは誰にでもできるのです。しかし、それではなんの訓練にもなりません。
なんのために訓練しているかというと、日常生活で自分がイライラしないために座禅瞑想をしているのです。座禅瞑想の方法を手に入れるのはいいことですが、座禅瞑想は決して目的ではありません。
その座禅瞑想の手法方法論なりをどこに持ち込むのか。日常生活に持ち込んで応用しなければなんの意味もないのです。では、訓練の現場が日常生活にあるのだったら座禅瞑想をわざわざしなくてもいいのでは、という話になりますね。
ですから、私は座禅瞑想をしたことがありません。(だたし、日常生活が全部座禅瞑想の現場だと思っているので、座禅瞑想が不必要だとは言いません)
講演をしているときも、試されていると思っていますので、会場がすごくざわめいているとか、子どもが走り回っているとか、ガーっと大いびきで寝ている人がいるという場合に、私がそこでまったく心をわずらわせることなく同じように話ができることを、私自身問われていると考えています。
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家庭や仕事、友人、あるいは、様々な出来事すべての日常生活が自分を創っていく訓練の場なんですね。自分の思い通りにならないこと、嫌な出来事は日常茶飯事です。それをドンと受け止めて、心が動揺しない、気にならないくらいの人間、
「あの人の側にいるとなにか安心するんだよね」。そんな大きな心の許容量・寛容度をもった人間に少しでも近づけるように、自分の日常生活と向き合っていこうと思います。
僕の父親は、そんな人だったように思います。父が亡くなり数人の社員さんから、そのような話を聞きたんです。