2017年5月10日(水) 966/1000
<家庭道場>
皆さん、おはようございます。
「みんなが味方になる すごい秘密」 KADOKAWA その1
著者:小林正観氏
******************************************************************************************
家族とは、他人に対して言わなくてすむわがままを、目の前の家族という名の特別な存在に対しても言わないという訓練の場なのだと考えています。
あることを他人から言われたときに、その他人に対しては腹を立てたり、怒ったり、怒鳴ったり、いら立ったりしない。ところが、同じ言葉を夫や妻、子どもから言われたら、ものすごく激高(げきこう)して、腹を立てて、怒って、怒鳴りまくってしまうという人はいませんか?
実は結構いるのですが、そういう性質を幼児性といいます。つまり、この人には甘えていいという特別な感情を持っているわけです。もしここで踏みとどまることができるなら、その人は忍耐力というものを持っているわけです。自分で自分の感情が制御ができているんですね。
それがある人との関係では制御できて、コントロールできるのに、別な人との関係ではコントロールできないというのは、制御ができないのではなくて制御をしないのです。家族だから、妻だから、夫だからという理由で制御をしないのは、甘えているという意味で、それを幼児性といいます。
結婚というのは幼児性の克服のための訓練の場なのです。そのところに気づかない限り、多分穏やかな家庭生活というのを得ることはできません。
家族というのは、わがままを言い合うために存在するのではなく、わがままを言えるような人間関係が目の前にあった、それでなおかつそのわがままを言わないために存在するのです。言わないということは大人になるということです。
家族以外の人に向かっては腹を立てないということは、自分の中に忍耐力があるということです。では、なぜ家族だと同じことを言われたときに踏みとどまることができないのか。おかしいですね。それは、家族に対して甘えているからです。
この話をしたら、ある人がこう言いました。「それではストレスをどこで発散するんだ」と。
もう一度言います。家族というのはストレスを発散する場ではありません。幼児性でわがままを振りまきたく状況設定をされているのが家庭。そこで自分がいかに幼児性を振りまかないで、それを克服していくかということ。これは業(ごう)というものですけれど、その業の克服のために、家庭というものが存在するのです。
家庭というところは、人間が成長する場所なのですね。幼児性というものを克服するために家庭が存在するということがわかってくると、子どもとの関係、親と子との関係というものが見えてきます。
実は親が子どもを育てているのではなくて、子どもが親を育てにきているということに気がつきます。
******************************************************************************************
いやぁ~、参りました。僕は幼児性がたっぷりと残っていますね。結婚して29年になりますが、女房に対して、わがままばかりを言っていたようです。29年にもなりますとお互いの性格もわかってきますし、特別な存在であることにも気づいて、今はとっても仲がよくて尊敬できる存在でもあります。それでも、わがままを言ってしまう時がありますね。
「わがまま」と「何でも言えること」とは、少し違うと思えたりします。わがままは、自分勝手なこと。夫婦というのは、自分の考えを伝えたり、相談したり、心をさらけ出したり、あるいは泣いちゃったり。そんな許し合える関係でありたいです。
子どもにも、よく注意されたりします。そんな時に、僕は素直に聞けるんですよね。そんなことを振り返ると、子どもは僕のマスターかもね(笑)
家族というのは、心の支えです。だから、自分のわがままばかりを言っていては、穏やかな家庭を築けるものではありません。
一番わがままを言える家庭という環境でもわがままを言わないことが、人生の道場なんですね。過去の道場の成績は、”一本負け”ばかりだったようですよ(笑)