2017年5月8日(月) 964/1000
<人生を楽しむ生き方>
皆さん、おはようございます。
「努力ゼロの幸福論」大和書房 その16
著者:小林正観氏
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人生を楽しく生きるというのは、どういうことでしょうか。
「高級店で料理や酒を楽しむ」
「好きなだけお金を使って遊ぶ」
「テーマパークや遊園地で思いっ切り遊ぶ」
「海外旅行に出かける」
「リゾート地でゆっくりと過ごす」
それはそれで楽しいと思います。けれども、人生を楽しむ本質ではありません。人生の真の楽しみ方は、「自分の存在が喜ばれているという喜びを実感しながら生きていく」ということ。
まわりの人から、
「あなたがこの世にいてくれて嬉しい」
「あなたに出会えて良かった」
「あなたがそばにいてくれるから人生が楽しい」
と言ってもらえる。それが喜び、楽しみ、幸せだと感じる毎日を送ることです。
あなたがものすごく欲しいものを手に入れたとします。確かにそれも楽しく、幸せなことかもしれません。しかし、人に感謝されるのと感謝されないのでは、喜びの質と大きさが違います。
「人に喜ばれる存在」になった喜びは、人間にとって最高の喜びなのです。ほかに抜きん出る必要はありません。優れている点がなくても大丈夫です。どんな立場からでも、どんな角度からでもかまいません。自分らしさを生かして社会に参加すれば、それだけでいい。
「家をつくる大工さんの仕事はみんなに喜ばれている」
「熟練したプロの技で、頑丈な壁に仕上げてくれる左官職人も、みんなに喜ばれている」
「毎日欠かさず、新聞や牛乳を配達してくれる人も、みんな喜ばれている」
「私たちを安全に運ぶ電車の運転士や旅客機のパイロットも、みんな喜ばれている」
「人に感動をもたらしているプロスポーツ選手も、みんな喜ばれている」
「人を笑顔にするお笑い芸人も、みんな喜ばれている」
「子育てをしているお母さんも、人類の宝のために貢献することで、みんなに喜ばれている」
大切なのは本人が「喜ばれている」と実感して生きているかどうか、です。あなたはどれくらい「喜ばれている存在」になっているでしょうか。今からで大丈夫です。ぜひとも喜ばれていることを実感して、まわりに「ありがとう」を伝えてください。それが本当の意味で「人生を楽しむ生き方」であり、真の「人生の目的」だと私は思うのです。
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僕は父から会社を受け継いで運送会社を経営させてもらっています。時折、まわりの経営者仲間から、ドライバーに光が当たらないとか、運送会社の社会的地位が低いとか、そのような話を聞きたりします。僕もそのように思っていたこともあります。
世の中に光があたっている仕事は何だろうかと考えると、すぐに出てきません。例えば、政治家、銀行マン、弁護士、芸能人かなぁ。給料もよさそうだしね。でも給料が高いから光が当たっているというのもなんだかちょっと変な気もします。
先般、父が亡くなった時に納棺という儀式がありました。自宅で大人ひとり入れるくらいのお風呂を持ちこんで、”おくりびと”といわれる男性と女性のお二人が、故人の体をシャワーでキレイに洗ってくれるんです。親族も一緒に洗いました。その“おくりびと”の方は、20代の若い男女。
親族をいたわって、とっても丁寧に挨拶をされて僕は感謝が突き抜けたんです。お二人に何度も何度も「ありがとう」って言っていました。
世の中には、たくさんの仕事があって、必要だから存在しているんですね。このお二人も”おくりびと”という仕事を選んでいる理由があると思うんですが、僕からすれば、このお二人は、光が当たっているというより、自ら光を放っているように感じて神様の化身のように思えたんです。
自分たちの仕事に光が当たっていないとか、社内的地位が低いと思えるのは、自分の仕事に対する向き合い方で変わるんじゃないだろうか。
僕たちは、なぜ今の職業を選んだかというと、好きで選んだというより、人生の流れの中で、そうなったんだと思いたいのです。つまり、今の職業で、「お客様やまわりの人に喜んでもらいなさい!」というふうに、どこからか聞こえるんです。だから、真面目に誠実に工夫して、一所懸命にやれば、きっと上手くいくし、自分も喜びを感じられると信じたいんです。
「人生を楽しむ」って、小林さんが言うとおり、不平不満、愚痴を言うことではなくて、
「ありがとう」と言える生き方をすることだと、”おくりびと”のお二人に出会って思えました。