2016年3月16日(水) 546/1000
<勝利の女神>
皆さんおはようございます。
致知出版社 致知3月号より引用
対談 「すべての力を出し切る先に道がひらかれる」 その3
元プロテニスプレーヤー 杉山 愛氏
筑波大学名誉教授 村上和雄氏
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(村上)
すごい試合をされるには、もちろん才能とか実力もあると思うのですが、そういうものを越える何かがあるような気がしたことはありませんか。
(杉山)
それはしますね。何かこう違う力というか。
(村上)
天が味方をしてくれるとか。
(杉山)
そういったエネルギーみたいなものを、勝利の女神と言うのではないでしょうか。
もっともどれだけ足掻(あが)いても、振り向いて微笑んでくれないこともありますけど、普段の過ごし方や心の持ち方、考え方など常に前向きにして生きていると、そのご褒美をもらえる時があると思います。
(村上)
それは科学の世界にもあるんですよ。細菌学者パスツールが
「チャンスは備えのあるところに訪れる」と言っているように、勝利の女神が微笑むにはそれに見合った準備が必要で、そこに理屈を超えた天の味方みたいなものが現れると。
ただし科学者はあまりそういうことを表だって喋(しゃべ)りはしませんけどね(笑)
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「努力」という言葉があります。努力は我慢とは違うように思うのです。我慢はちょっと苦しみとも受け取れますが忍耐とも違うように思います。自分の立てた目標や夢に向かい、よい時が必ずくると信じて耐え忍び続けることを忍耐、一生懸命に精進していくことを努力というのではないだろうか。
努力は他人のためにするものではなく、自分のためにするもの、自分の意志でするものと思うのです。だから自分の目標が心から手に入れたいというものでなければ継続が難しいのです。その努力の先にあるものが自分のためだけになるものではなく、多くの人の賛同を得られるようなものであれば、不思議なくらいに人のご縁により救われたり、力を貸してくれる出来事が起きたりするように思うのです。それを杉山氏がおっしゃる「勝利の女神」というのかも知れません。
過去を振り返ると、会社が苦境にたった時に不思議な出来事やご縁が幾度となくありました。その時は努力をしていたという気はありませんが必死だったことは覚えています。その出来事は努力の結果ではなく、努力の事前の「前借り」みたいなもんで、
神様がチャンスをくれたように思うのです。だからこそ、生かされた感謝のお返しをしなければならないように思えているのです。