2017年5月6日(土) 962/1000
<自分の心を見つめてみよう>
皆さん、おはようございます。
「努力ゼロの幸福論」大和書房 その13
著者:小林正観氏
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敵を憎んで人を憎まず。
この言葉の本当の意味がだんだんと見えてきました。仮に、あなたが一般的にいわれる「悲惨なこと」「不幸な出来事」を見聞きしたときに、その行為そのものに対して、「認めることができない」「許すことができない」と思うとします。もしそうだとすれば、社会や人に対して同じように敵意や憎しみを持っている「あなた」自身の心を憎むべきではないでしょうか。
そういう敵意や憎しみが許せないのであれば、己の心の中にある敵意や憎しみも許せないと思うのが論理的です。「罪を憎む」とはそういうことかもしれません。
罪を犯した人(その出来事をなした人)を恨んだり、憎んだりするのではなく、敵意や憎しみの心こそが、こういう出来事を起しているのではないか。そういう思いに至ったときに、その根源になっているものは、「私」の敵意や憎しみでもあり、「私」もいっそうなるかもしれないと考え、まず己の心の中から敵意や憎しみを取り去ることでしょう。
もっといいのは敵意や憎しみを感じなくなるような「私」をつくり上げることです。これもやはり「執着」や「こだわり」を捨ててラクになることのひとつです。
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相手を憎んだりする心は、その憎しみという心が己の中に存在しているしているから、私自身もそうなるかもしれないという考えがあるのは、ちょっとショックなことです。
日常生活においても、相手に対して怒り、恨み、憤りなどの感情は、誰にでもあるわけですが、その状況に陥ったとき、まずは、その感情そのものが「自分自身」であると置き換え、己の心を自省していくことが大切であるのでしょう。それが常に自分の心を安定させることができるのだと思えてきました。
これは、至難の業ではなさそうですが、凛とした己を創っていくためには必要なことでありましょう。
今、「自分の心の状態はどうなのか」、という自分の心を見つめて、人間力を高めていきたいと思います。