2016年2月23日(火) 524/1000
<愚痴>
皆さんおはようございます。
致知出版社 致知3月号
「願いに生きた禅僧たちの知恵」 より抜粋 その2
鎌倉円覚寺管長 横田南嶺氏
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お釈迦様は、人間には三つの迷いがあると説かれています。
一つ目は「貪(むさぼ)り」。
目で見、耳で聞き、体で触れて、少しでも心地がよいもの、快楽をもたらしてくれるものに対して、貪り欲しがる炎に燃えている。
次には「怒り」です。
自分が嫌いだ、不快だと思うものに対し、これを退け排除しようとする。これが怒りや憎しみ、嫉妬の感情となって火のように燃え盛っている。
そして三つ目が「愚痴」「愚かさ」。
愚かさというのは無知という言葉に等しいのです。知らない、知ろうとしない。これは無関心という言葉に近いのかもしれませんが、「貪り」「怒り」よりある意味では根深いようにも思います。
何事も自分には関係ないと言って知ろうとも、関わろうとしない。そういう愚痴、愚かさの火で燃えていることを自覚しなければなりません。
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致知出版社の藤尾社長の講和の中で、「鉄はサビによって朽ちる 、人は愚痴によって自分を崩す」という言葉を聞いた。
ついつい愚痴という毒を吐いている時がある。そんなときに反省をするわけです。
では、なぜ愚痴や不満という言葉がでてくるのだろうか。
愚痴はそもそも自分の思うようにいかなかったりする時に愚痴が出るわけです。
愚痴は自分の不満を周囲に吐き自分の欲求を満たします。愚痴は相手に同調を求め相手を愚痴という負の領域に引きづりこみます。聞いている相手は、簡単に引きづり込まれる人、また同じ意識レベルであれば愚痴が共鳴され負の領域の力が増し、自分も相手もますます心地よくなり支配力が増していきます。これは強力なものです。
一旦、負の領域に支配され、愚痴の心地よさを体感し増幅されると人相まで変貌していきます。これはとても恐ろしいことです。
愚痴は災いを生みますが、自らも落とし込んでいきます。
だから愚痴を言ってしまった時は自分を振り返り反省をしなければなりません。
サビている鉄でも磨き続けていけば、鏡の如く光るようになります。
人間も同じだと思うのです。
だから自らを光輝かせるためには己を見つめなければならないと考えています。